2012年11月14日水曜日

2012-13 INDYCAR オフシーズン情報 10月30日 ランディ・バーナーが突然CEOから外される 後任はベスルカスに

ハルマン&カンパニーの緊急役員会で突如決定 

 アメリカ時間の10月28日、インディーカーのランディー・バーナードが突如としてCEOの地位から引き摺り下ろされた。親会社のハルマン&カンパニーの緊急役員会で決定したという。インディーカーは、当面はインディアナポリス・モーター・スピードウェイ社長で、ハルマン&Co.役員のジェフ・ベルスカスがCEOを兼務する体制で行くことを発表した。
 バーナードはインディーカーのアドバイザーというポジションが与えられるものの、何の職権も与えられない。早い話が放り出されたのだ。多くのポジティブをシリーズにもたらして来たバーナードが切られることとなった理由は何なのか? ずっと暗躍を続けて来ていた一部のチームオーナーたちの陰謀が成功したということなのか? トニー・ジョージ(今月20日にハルマン&カンパニーの役員から外れた)の復権はあるのか? ハルマン家及びジョージ家で何が起こった結果なのか? 詳細、新体制などなど、まだ不明な部分は多く、それらをわかり次第レポートして行きたい。
 新シャシーの導入、エンジン競争の復活、レースカレンダーの充実、ダブルヘッダーやトリプルクラウン復活などのアイディア、新テレビ体制の確立など多くの功績があるバーナードだったのだが……。

以上

2012年10月30日火曜日

2012-13 INDYCAR オフシーズン情報 10月25日 タイヤに関するうわさ

2015年にコンチネンタルがサプライヤーに!?
 少し前の話になるけれど、「インディーカーが将来のタイヤサプライヤーを探している」との記事がイギリスのモータースポーツ誌などに掲載された。インディーカーとファイアストンの契約は2014年いっぱいなので、まだ少し遠い先の話の気がするが、その後、「2015年以降はコンチネンタルに取って替わられるのでは?」と具体的な候補社名まで上がった。
 1995年にPPG/CARTインディーカー・ワールド・シリーズに参入し、強敵グッドイヤーと闘って勝利! グッドイヤーはオープンホイールを諦め、ストックカーメインでやって行くことに方針転換を余儀なくされた。以来、「インディーカーのタイヤといえばファイアストン」となっていて、ドライバーやチームからの信頼はブ厚い。その上、ファイアストンはインディーカー自前の登竜門シリーズ=インディーライツのサポートもずっと続けて来ている。
それでも違うタイヤメーカーへの交代というウワサが出たのには、何かがウラがあるはずだ。

2012年10月25日木曜日

2012年INDYCAR レビュー 第2弾 :チーム編 その1 アンドレッティ・オートスポート 「低迷からの脱却は本物か? カギ握るマルコ・アンドレッティの復活

2008年から続いていた低迷から脱しついに4度目のタイトル獲得 

 2010年シーズンからアンドレッティ・オートスポートを名乗るチームは、2003年からIRL(現インディーカー・シリーズ)に参戦を始めたアンドレッティ・グリーン・レーシングがその前身だ。彼らはIRL参戦2年目の2004年には早くもトニー・カナーンをチャンピオンの座に着け、2005年にはダン・ウェルドン、2007年にはダリオ・フランキッティとタイトルを獲得。この6年の間にインディー500で2勝(2005年=ウェルドン、2007年=フランキッティ)を挙げてもいる。
 ところが、2008年から彼らは苦境に陥った。マシン作りの中核となっていたフランキッティがNASCAR挑戦を理由に離脱した上、資金不足のためにマシン開発の手を緩めたことが成績低下を招いた。さらには、成績不振が始まったチーム内でエンジニア間に不協和音が出て、首脳陣の一部でモチベーションがダウン。チーム全体の活気が失われていた。

マルコの復調が真のチーム復活へのカギ

 
 2009年、AGRは1勝もできなかった。ここで元チャンピオンでチーム・オーナーのひとりのマイケル・アンドレッティが体制革新へと動いた。共同オーナーたちからチームの所有権を買い取り、彼ひとりで全権を掌握、トップチームの再建を目指すこととなったのだ。
 すると2010年、彼らは2勝を挙げ、2011年には3勝、さらに2012年にはライアン・ハンター-レイが4勝してシリーズチャンピオンに輝いた。まるでトントン拍子で復活がなされたかに見えるが、彼らがスイスイと体制の立て直しに成功して来たわけではなく、実際にはまだまだ不安定な状態が続いている。今年の彼らによるチャンピオンシップ獲得は、新シャシーへの対応などでライバルチームにも不備があり、混沌としていたためになされたものだった。
 本来なら、アンドレッティ・オートスポートというチームの中心となるべきは、アンドレッティ家の三代目=マルコ・アンドレッティの26号車チームのはずだ。しかし、マルコは父親や世間の期待とは正反対に、2012年にチーム内で最も実力を発揮できていないドライバーとなっていた。担当エンジニアのエディー・ジョーンズを開幕後に放出(成績が出ないとエンジニアをコロコロ換えるのはトニー・カナーン先輩の置き土産か)、チームのテクニカルディレクターであるアレン・マクドナルドがレースエンジニアにつけたが、それでもロードコースでのパフォーマンス不足は最後まで解消されなかった。

2012年10月17日水曜日

2012 INDYCAR シーズンレビュー 第1弾:チャンピオンの肖像――ライアン・ハンター-レイ――

Photo:INDYCAR LAT USA
苦労人チャンピオンの誕生

 2012年のインディーカー・チャンピオンとなったライアン・ハンター-レイは、結構な苦労人だ。
 フロリダ州の大西洋岸、マイアミとウェスト・パーム・ビーチの間にあるボカ・ラトンという町で育った彼は、1980年の12月生まれだから、もうじき32歳。現在はマイアミ寄りのフォート・ローダーデイルに住んでいる。
 ワイフのベッキーさんは、オフロード界の伝説的ドライバー=ボブ・ゴードンの娘。つまり、オフロード、スポーツカー、インディーカー、ストックカーのすべてで活躍したロビー・ゴードンの妹。彼女自身もレース経験がある……というか、今年のパイクス・ピーク・ヒルクライムに出場していたから、いまだに現役レーサー。二世が生まれたら、やっぱりレースの世界へ……ってことになるんだろうなー。
 ハンター-レイの趣味は、ゴルフ、サーフィン、スノーボード、シー・ドゥー(水上バイクの一種)、スクーバ・ダイビング、フィッシング……と思いっきりフロリダしていて、バブル的な匂いが漂う。苦労人と書いたけど、苦労したのはレーサーとしてのキャリアでだけなので。
 子供時代にカートに熱中、ナショナル・チャンピオンにもなってフォーミュラ・ダッジ、バーバー・ダッジ、フォーミュラ・アトランティックを経て四輪のトップ・カテゴリーへ。トントンとそこまではかなり順調だった。しかし、トップに上がるタイミングは良くなかった。アメリカのオープンホイール・レースは、チャンプカー・シリーズとインディー・レーシング・リーグに分裂して、かなりの低迷期となっていたから。
 

チャンプカーでは、ルーキーイヤーから目覚ましい活躍をみせたが

 それでも2003年、彼はチャンプカーにチーム・ヨハンソンから出場することができた。当時のIRLはオーバル専門シリーズだったので、ロードレース主体でオーバルもやるチャンプカーを選ぶのが彼にとってはロジカルだったかもしれない。でも、時代はこの年からIRL優勢へと一気にシフト。この時にチャンプカーを選んだ面々は、後々苦しい目に遭うことになる。
 ハンター-レイはルーキー・イヤーに初勝利を挙げた(@サーファーズ・パラダイス)。いくらペンスキーやガナッシ、グリーンといった強豪チームがIRLへと引っ越してしまった後だとはいえ、ニューマン-ハースやフォーサイスが頑張っている中で勝ったのはちょっとした快挙だった。
 2004、2005年も彼はチャンプカーで戦い、ミルウォーキーの1マイル・オーバルでキャリア2勝目を記録した。ところが、2006年を前にシート喪失の憂き目に遭う。チャンプカーの存続が危ぶまれ、出場チームの経営状況もそれに影響されて悪化して行き、スポンサーを持ち込まずにシートを確保するのはとても難しくなっていた。