バリケロ、わずか1シーズンでインディーカー離脱
ルーベンス・バリケロのインディーカー参戦が、残念だがたった1年で終了してしまう可能性が強まった。アメリカのメディアが、彼が2013年は母国ブラジルで人気を誇るストックカー・シリーズにフル・エントリーする契約を結んだとレポートした。まだブラジルのストックカー・チームからも、バリケロ本人からも正式な契約発表はなされていないが、シュミット・ハミルトン・モータースポーツ(SHM)でダラーラ・ホンダを走らせる話は御破算となったと見られる。
そのSHMだが、セブリング・インターナショナル・レースウェイで2012年インディーライツ・チャンピオンのトリスタン・ヴァウティエールにインディーカー・テストのチャンスを与える。サム・シュミット・モータースポーツでシリーズタイトルを獲得したご褒美といったところか。ヴァウティエールはもちろんインディーカーへのステップアップを狙っており、インディーライツを共に戦ったサム・シュミットのチームでトップカテゴリーへと進むことを検討している。しかし、バリケロ以上に資金確保に手こずっているという。こうなると、やっぱりSHMは1台体制か??
2012年12月21日金曜日
2012年12月16日日曜日
2012-13 INDYCAR オフシーズン情報 12月9日 アメリカ期待の若手、あのF1ドライバーの息子がインディーカーへ?
20歳のコナー・デイリーにインディーカー・テストのチャンス
アイルランド出身の元F1ドライバー、デレック・デイリー(59際)の息子、コナー・デイリー(20歳)が来年のインディーカー・シリーズにルーキーとして参戦する可能性が出てきた。フルエントリーとはならないかもしれないが……。
77年イギリスF3チャンピオンのデイリーは、ティレル、マーチ、ウィリアムズなどでF1を戦った後、アメリカに移り住んでインディーカーやスポーツカーで活躍。現役引退後もアメリカでレーシングスクールを開校したり、F1やインディーカーといったモータースポーツでテレビやラジオのコメンテーターとして多くの仕事をしてこなして来ている。
長男のコナーは、インディアナポリスのすぐ北、インディアナ州ノーブルスヴィルでアメリカ人の妻との間に生まれた。アメリカ育ちのコナーはレーシング・カートから入門フォーミュラを経て2009年にスター・マツダへステップアップ、翌2010年には12戦で7勝を挙げてチャンピオンとなった。そして、2011年には5戦のみだがインディーライツに出場、優勝とポールポジションをそれぞれ1回ずつ記録した。インディーライツにフル参戦しなかったのは、2011年からGP3で戦うことが決まっていたからだ。コナーはGP3で2シーズンを戦い、ロータスで走った2012年に1勝している。
父のようにF1で走りたいと考えているコナーだが、このオフに入ってから彼の下にはAJ・フォイト・レーシングからインディーカー・テストのオファーが届いた。ロードコースのセブリング・インターナショナル・レースウェイでインディーカーに初めて乗るチャンスが与えられることになったのだ。テストは12月13日の予定。コナーは21歳の誕生日(15日)を目の前にして、初めてのインディーカー・ドライブを果たす。
AJ・フォイト・レーシングは2012年から起用したマイク・コンウェイがオーバルレースに出場できない事情が発生(2011年のインディー500での大アクシデントの影響か、オーバルを自信を持って走れなくなった)、2013年も彼を起用し続けながらオーバル用ドライバーを別に雇うケースも検討していたが、フル・シーズン・エントリーのシートには近頃になって佐藤琢磨が座るという噂が流れている。そうなってもチームはコンウェイをリリースせず、2台目をエントリーさせて彼とデイリー、あるいは2012年に同チームから2レースに出場したニュージーランド出身のウェイド・カニンガムを数戦ずつに参戦させるという可能性を探っているようだ。
アイルランド出身の元F1ドライバー、デレック・デイリー(59際)の息子、コナー・デイリー(20歳)が来年のインディーカー・シリーズにルーキーとして参戦する可能性が出てきた。フルエントリーとはならないかもしれないが……。
77年イギリスF3チャンピオンのデイリーは、ティレル、マーチ、ウィリアムズなどでF1を戦った後、アメリカに移り住んでインディーカーやスポーツカーで活躍。現役引退後もアメリカでレーシングスクールを開校したり、F1やインディーカーといったモータースポーツでテレビやラジオのコメンテーターとして多くの仕事をしてこなして来ている。
長男のコナーは、インディアナポリスのすぐ北、インディアナ州ノーブルスヴィルでアメリカ人の妻との間に生まれた。アメリカ育ちのコナーはレーシング・カートから入門フォーミュラを経て2009年にスター・マツダへステップアップ、翌2010年には12戦で7勝を挙げてチャンピオンとなった。そして、2011年には5戦のみだがインディーライツに出場、優勝とポールポジションをそれぞれ1回ずつ記録した。インディーライツにフル参戦しなかったのは、2011年からGP3で戦うことが決まっていたからだ。コナーはGP3で2シーズンを戦い、ロータスで走った2012年に1勝している。
父のようにF1で走りたいと考えているコナーだが、このオフに入ってから彼の下にはAJ・フォイト・レーシングからインディーカー・テストのオファーが届いた。ロードコースのセブリング・インターナショナル・レースウェイでインディーカーに初めて乗るチャンスが与えられることになったのだ。テストは12月13日の予定。コナーは21歳の誕生日(15日)を目の前にして、初めてのインディーカー・ドライブを果たす。
AJ・フォイト・レーシングは2012年から起用したマイク・コンウェイがオーバルレースに出場できない事情が発生(2011年のインディー500での大アクシデントの影響か、オーバルを自信を持って走れなくなった)、2013年も彼を起用し続けながらオーバル用ドライバーを別に雇うケースも検討していたが、フル・シーズン・エントリーのシートには近頃になって佐藤琢磨が座るという噂が流れている。そうなってもチームはコンウェイをリリースせず、2台目をエントリーさせて彼とデイリー、あるいは2012年に同チームから2レースに出場したニュージーランド出身のウェイド・カニンガムを数戦ずつに参戦させるという可能性を探っているようだ。
2012年12月13日木曜日
2012-13 INDYCAR オフシーズン情報 12月6日 アンドレッティ・オートスポートが2013年の体制を発表
シーズン3台体制 インディー500はルーキーのムニョスも投入
マイケル・アンドレッティがオーナーを務めるアンドレッティ・オートスポートは、12月5日、インディアナ州インディアナポリスの自社ワークショップで2013年度の体制を発表した。
IZODインディーカー・シリーズには3台をフルエントリーさせ、インディアナポリス500マイルレースにおいてのみ、1台プラスの4カー体制とする。使用エンジンは、当然、シボレーで変わらずだ。
インディーカー・レギュラーの3人は2012年と同じ。ただし、初のシリーズタイトル獲得をなし遂げたライアン・ハンター-レイ(RHR)はチャンピオン・ナンバーの「1」を纏う。メインスポンサーは引き続きDHLが務めるが、サポートの規模はタイトル獲得によって拡大された。RHRは念願のタイトルに手を届かせたカーナンバー28に強い愛着を持っているためと、全世界で癌と戦っている2,800万人の患者のため、レーシング・フォー・キャンサーの共同発起人としてカー・ナンバー「1」の中に「28」を取り込むデザインを採用する。
マルコ・アンドレッティはカーナンバーを「26」から「25」に変更するが、メインスポンサーは来年もRCコーラで変わらない。2012年はランキング16位と振るわなかったため、ゼッケンととも心機一転する。
インディーカー・デビュー2年目、アンドレッティ・オートスポート入りした初年度ながらタイトル争いに加わり、最終的にランキング8位でシーズンを終えたカナダのジェイムズ・ヒンチクリフは、2013年もゴー・ダディ・ドット・コムがメイン・スポンサーで、カー・ナンバーも引き続き「27」を使う。
ムニョスをはじめ、若手の育成も着々
そして、インディー500の予選通過を目指してスポット参戦を行うのは、アンドレッティ・オートスポートでインディライツ2シーズン目を戦うコロンビア出身のカルロス・ムニョスだ。
アンドレッティ・オートスポートはステップアップカテゴリーでの活動も積極的に展開して来ている。2013年もインディーライツには上記の、昨年2勝を挙げているムニョスをエースとして投入し、もう自らのチームで3シーズンも育て続け来ている現在17歳のザック・ヴィーチ(今月中に18歳になる)をインディーライツ・デビューさせる。
さらに下位のフォーミュラ・マツダにもシェルビー・ブラックストックをエントリーさせる。彼らはもう1台をエントリーさせる予定だが、そちらのドライバーは後日発表されるという。そして、USF2000にもアンドレッティ・オートスポートは参戦を継続する予定で、そちらのドライバーも同じく後日発表するとのことだ。
以上
マイケル・アンドレッティがオーナーを務めるアンドレッティ・オートスポートは、12月5日、インディアナ州インディアナポリスの自社ワークショップで2013年度の体制を発表した。
IZODインディーカー・シリーズには3台をフルエントリーさせ、インディアナポリス500マイルレースにおいてのみ、1台プラスの4カー体制とする。使用エンジンは、当然、シボレーで変わらずだ。
インディーカー・レギュラーの3人は2012年と同じ。ただし、初のシリーズタイトル獲得をなし遂げたライアン・ハンター-レイ(RHR)はチャンピオン・ナンバーの「1」を纏う。メインスポンサーは引き続きDHLが務めるが、サポートの規模はタイトル獲得によって拡大された。RHRは念願のタイトルに手を届かせたカーナンバー28に強い愛着を持っているためと、全世界で癌と戦っている2,800万人の患者のため、レーシング・フォー・キャンサーの共同発起人としてカー・ナンバー「1」の中に「28」を取り込むデザインを採用する。
マルコ・アンドレッティはカーナンバーを「26」から「25」に変更するが、メインスポンサーは来年もRCコーラで変わらない。2012年はランキング16位と振るわなかったため、ゼッケンととも心機一転する。
インディーカー・デビュー2年目、アンドレッティ・オートスポート入りした初年度ながらタイトル争いに加わり、最終的にランキング8位でシーズンを終えたカナダのジェイムズ・ヒンチクリフは、2013年もゴー・ダディ・ドット・コムがメイン・スポンサーで、カー・ナンバーも引き続き「27」を使う。
ムニョスをはじめ、若手の育成も着々
そして、インディー500の予選通過を目指してスポット参戦を行うのは、アンドレッティ・オートスポートでインディライツ2シーズン目を戦うコロンビア出身のカルロス・ムニョスだ。
アンドレッティ・オートスポートはステップアップカテゴリーでの活動も積極的に展開して来ている。2013年もインディーライツには上記の、昨年2勝を挙げているムニョスをエースとして投入し、もう自らのチームで3シーズンも育て続け来ている現在17歳のザック・ヴィーチ(今月中に18歳になる)をインディーライツ・デビューさせる。
さらに下位のフォーミュラ・マツダにもシェルビー・ブラックストックをエントリーさせる。彼らはもう1台をエントリーさせる予定だが、そちらのドライバーは後日発表されるという。そして、USF2000にもアンドレッティ・オートスポートは参戦を継続する予定で、そちらのドライバーも同じく後日発表するとのことだ。
以上
2012年12月10日月曜日
2012-13 INDYCAR オフシーズン情報 12月3日 インディー/シャーロット・ダブルにトニー・スチュワートが挑戦か
ロジャー・ペンスキー直々にインディー500出走をオファー
1997年インディー・レーシング・リーグ(IRL)チャンピオンで、NASCARチャンピオンにも三度輝いているトニー・スチュワート(41歳)が、来る2013年のインディー500にスポット参戦する可能性が出て来た。ロジャー・ペンスキーが彼にオファーを出したのだ。
インディアナ州出身で、ミジェット&スプリント・カーを走らせて育ったスチュワート。当然、彼の子供時代からの夢はインディーカー・チャンピオン、インディー500での優勝だった。しかし、いざインディーカー・ドライバーとなって挑戦した5回での最高位は5位(1997年)、インディー未勝利のスチュワートとすれば、世界最長の歴史を誇るレースで最多の15勝を飾っているチーム・ペンスキーからの出場は拒絶し難いチャンスだろう。
シボレーから強力なバックアップ
スチュワートがオープンホイールのトップカテゴリーに到達したのは、ちょうどインディーカーがまっ二つに分断されていた時期。彼はCARTシリーズより世間の評価が低いIRLでタイトルを獲ったが、その後は人気絶大なNASCARへと移り、そちらでも才能を発揮して3度のシリーズ制覇を果たして来ている。そして、スチュワートは2009年からチームオーナー兼ドライバーとなった。シボレーからの強力なサポートを受ける体制だ。そのような彼とシボレーの関係を考えれば、インディーカーでのシボレー・ナンバー・ワン・チームであるペンスキーからの参戦話は、決して実現性の低いものではない。ペンスキーとスチュワートが手を組むとなれば、全米での注目度は極めて大きなものになる。それはインディー500やインディーカー・シリーズにとってはもちろんのこと、NASCAR、そして、シボレーにとっても大きなメリットになるはずだ。
2004年以来久々となる「ダブル」、果たして障壁をクリアできるか?
スチュワートにとっての悩みの種は、インディー500の行われる週末、NASCARがノースキャロライナ州シャーロットでシリーズの公式戦を開催する点だ。そちらはナイトレースなので、インディー500のゴール後にヘリコプターとプライベートジェットを利用すれば参戦は可能となるが、時間的に非常にタイトなのだ。そこでペンスキー御大は、インディカーとNASCARの両シリーズに働きかけ、両イベントのスケジュールを調整することまで考えているのだという。
少し前までは、”インディー/シャーロット・ダブル”は普通に行われていた。ところが、2005年からインディー500のスタートが1時間遅らされて正午になったため(2006年からはインディアナ州のサマー・タイム採用で午後1時スタートになっているが、前年までのサマー・タイム採用無しでの正午と同時刻)、一番最近の”ダブル”実現は、2004年のロビー・ゴードンによるものとなっている。
インディー500に出場すると、シャーロットでの決勝当日のドライバーズミーティングに出席できないため、NASCARのルールで最後尾グリッドからのスタートを強いられる。これをまず、NASCARサイドのスポンサーに理解してもらわねばならない。また、インディー500のスタートや進行が雨で遅れた場合など、どのような対処をするのか(インディーとNASCAR、どちらにどのような代役を立てるのか……など)、多方面からの了承を得なくてはならない。
スチュワート自身、1999年と2001年の2回、“ダブル”にトライをしている。1999年はインディーで9位、シャーロットで4位に入賞。2001年にはチップ・ガナッシ・レーシングからの出場でインディー=6位、シャーロット=3位だった。二度の挑戦とも両レースでトップ10入りするという素晴らしい成績をスチュワートは残しているわけだ。また、2004年には予選最終日に突然姿を現したスチュワートに対してAJ・フォイトがマシン提供を申し出、挑戦が急遽決まりかけた。最終的には、彼とシボレーの契約などからホンダ・エンジン搭載インディーカーでの走行は実現しなかった。
2013年のインディー/シャーロット・ダブルに関しては、いよいよNASCARのトップ・シリーズへのフルエントリーを開始するダニカ・パトリックにも計画がある。ダニカもNASCARではシボレー・ドライバーだ。
以上
1997年インディー・レーシング・リーグ(IRL)チャンピオンで、NASCARチャンピオンにも三度輝いているトニー・スチュワート(41歳)が、来る2013年のインディー500にスポット参戦する可能性が出て来た。ロジャー・ペンスキーが彼にオファーを出したのだ。
インディアナ州出身で、ミジェット&スプリント・カーを走らせて育ったスチュワート。当然、彼の子供時代からの夢はインディーカー・チャンピオン、インディー500での優勝だった。しかし、いざインディーカー・ドライバーとなって挑戦した5回での最高位は5位(1997年)、インディー未勝利のスチュワートとすれば、世界最長の歴史を誇るレースで最多の15勝を飾っているチーム・ペンスキーからの出場は拒絶し難いチャンスだろう。
シボレーから強力なバックアップ
スチュワートがオープンホイールのトップカテゴリーに到達したのは、ちょうどインディーカーがまっ二つに分断されていた時期。彼はCARTシリーズより世間の評価が低いIRLでタイトルを獲ったが、その後は人気絶大なNASCARへと移り、そちらでも才能を発揮して3度のシリーズ制覇を果たして来ている。そして、スチュワートは2009年からチームオーナー兼ドライバーとなった。シボレーからの強力なサポートを受ける体制だ。そのような彼とシボレーの関係を考えれば、インディーカーでのシボレー・ナンバー・ワン・チームであるペンスキーからの参戦話は、決して実現性の低いものではない。ペンスキーとスチュワートが手を組むとなれば、全米での注目度は極めて大きなものになる。それはインディー500やインディーカー・シリーズにとってはもちろんのこと、NASCAR、そして、シボレーにとっても大きなメリットになるはずだ。
2004年以来久々となる「ダブル」、果たして障壁をクリアできるか?
スチュワートにとっての悩みの種は、インディー500の行われる週末、NASCARがノースキャロライナ州シャーロットでシリーズの公式戦を開催する点だ。そちらはナイトレースなので、インディー500のゴール後にヘリコプターとプライベートジェットを利用すれば参戦は可能となるが、時間的に非常にタイトなのだ。そこでペンスキー御大は、インディカーとNASCARの両シリーズに働きかけ、両イベントのスケジュールを調整することまで考えているのだという。
少し前までは、”インディー/シャーロット・ダブル”は普通に行われていた。ところが、2005年からインディー500のスタートが1時間遅らされて正午になったため(2006年からはインディアナ州のサマー・タイム採用で午後1時スタートになっているが、前年までのサマー・タイム採用無しでの正午と同時刻)、一番最近の”ダブル”実現は、2004年のロビー・ゴードンによるものとなっている。
インディー500に出場すると、シャーロットでの決勝当日のドライバーズミーティングに出席できないため、NASCARのルールで最後尾グリッドからのスタートを強いられる。これをまず、NASCARサイドのスポンサーに理解してもらわねばならない。また、インディー500のスタートや進行が雨で遅れた場合など、どのような対処をするのか(インディーとNASCAR、どちらにどのような代役を立てるのか……など)、多方面からの了承を得なくてはならない。
スチュワート自身、1999年と2001年の2回、“ダブル”にトライをしている。1999年はインディーで9位、シャーロットで4位に入賞。2001年にはチップ・ガナッシ・レーシングからの出場でインディー=6位、シャーロット=3位だった。二度の挑戦とも両レースでトップ10入りするという素晴らしい成績をスチュワートは残しているわけだ。また、2004年には予選最終日に突然姿を現したスチュワートに対してAJ・フォイトがマシン提供を申し出、挑戦が急遽決まりかけた。最終的には、彼とシボレーの契約などからホンダ・エンジン搭載インディーカーでの走行は実現しなかった。
2013年のインディー/シャーロット・ダブルに関しては、いよいよNASCARのトップ・シリーズへのフルエントリーを開始するダニカ・パトリックにも計画がある。ダニカもNASCARではシボレー・ドライバーだ。
以上
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