2022年1月2日日曜日

2021 INDYCAR ニュース 12月31日:大晦日ニュース

 2021年も最後の1日となりました。今年も1年間、ありがとうございました。
年末のニュースです。

1987年、4回目のインディー500優勝を果たしたアル・アンサー Photo:INDYCAR (クリックして拡大)

 アル・アンサー逝去

 1970年、1971年、1978年、1987年のインディー500で優勝、AJ・フォイトに続く史上2人目の4タイム・ウィナーとなったアル・アンサーが亡くなった。インディー500での4勝は彼らの他にリック・メアーズ、エリオ・カストロネヴェスがこれまでに達成している。

 アメリカで最も成功しているレース一家といえば、アンサー・ファミリーだ。アンドレッティ・ファミリーも有名だが、彼らはインディー500で1回しか優勝していない。それに対してアンサー家は実に9回も勝っている(アルが4勝、ボビーが3勝、アル・アンサーJr.が2勝)。そして、インディーカーでのシリーズ・タイトルも一家で7回獲得しており(アルが3回、ボビーとアルJr.が2回ずつ)、アンドレッティの4回を大きく上回っている。

 大柄でもないアルが”ビッグ・アル”と呼ばれるようになったのは、息子がインディーカーで走るようになって、二人のアルをビッグ・アルとリトル・アルと呼んで区別したのが発端だったが、もちろん彼の偉大なキャリアに敬意を表してのものでもある。寡黙で冷静沈着、クレヴァーなレースぶりで多くの勝利を収めた彼は、穏やかな性格によっても人々に親しまれた。彼は癌との闘病をもう10年以上も続けて来ており、故郷の自宅で愛妻に看取られて息を引き取った。82歳だった。

インディ―500で4勝を挙げた4人衆。AJフォイト、リック・メアーズ、エリオ・カストロネヴェスとともに Photo:INDYCAR (クリックして拡大)

 アンサーSr.の故郷はアメリカ西南部のニュー・メキシコ州アルバカーキ。その北隣りのコロラド州にある標高4,000メートル超の高山の頂点へ続く一本道で開催されるヒル・クライム・レースは、インディー500に次ぐ長い歴史を持つレーシング・イヴェントだ。アルの父ジェリーや、叔父のルイはそのレース=パイクス・ピーク・ヒル・クライムで1930年代から勝利を重ねていた。パイクス・ピークは、アルがまだ参戦する以前から、すでに”アンサー家の山”と呼ばれるまでになっていた。

 双子のジェリーJr.とルイ、三男のボビーに続き、四男のアルもパイクス・ピークで勝利を重ねた。そして、兄たちがすでに挑戦を始めていたインディーカー・シリーズへと彼も出て行った。
 長男のジェリーJr.は1959年にインディアナポリス500のプラクティス中に事故死。次男のルイは、パイクス・ピークでは複数回勝っているが、インディーカーでの勝利はない。彼はジェリーのメカニックとして働いていたことの方が多かった。
 フォイトやマリオ・アンドレッティ、パーネリ・ジョーンズ、ゴードン・ジョンコック、マーク・ダナヒュー、ジョニー・ラザフォード、兄のボビーなどなど、強豪がひしめき合うインディーカーの世界でアルはトップ・コンテンダーとなり、優勝回数は歴代6位にランクされる39勝にも上った。1987年、ライドのなかったアルは、プラクティスのアクシデントで脳震盪を起こしたダニー・オンガイスの代役としてペンスキー・レーシングのマーチ86Cーフォード・コスワースDFXに搭乗し、歴史に残る4勝目を挙げた。ポール・ポジションから170周をリードしたマリオ・アンドレッティ(ローラT87/00ーイルモア・シボレー)はゴール目前のマシン・トラブルにより2勝目を飾れず、代わりにアルの歴史的な4勝目がなった。

 リトル・アルは父と同様にパイクス・ピークで優勝した後にインディーカーに進出。歴代9位となる34勝をマークした。孫の”ミニ・アル”もレーサーになったが、残念ながら彼はインディーカーのランクまで到達しなかった。
 ボビーの息子のロビーは、パイクス・ピークでは勝利を重ねたものの、インディーカーでは成功できず。ジェリーJr.の息子のジョニーもインディーカー・シリーズまでステップ・アップして来たが、優勝を飾ることはなかった。

 今年の5月にボビーが亡くなった。その半年後にアルも後を追った。


佐藤琢磨の2022年のチームメイトは20歳のアメリカ人ドライヴァー

佐藤琢磨のチームメイトとなるディビッド・マルーカス。2001年生まれの21歳。アメリカとリトアニアの国籍を持つ Photo:Dale Coyne Racing

 デイル・コイン・レーシングが新たにHMDモータースポーツとパートナーシップを組み、2022年シーズンにアメリカ人ドライヴァーのデイヴィッド・マルーカスを起用すると発表した。HMDモータースポーツは2021年にインディー・ライツに出場していたチームで、オーナーはデイヴィッドの父のヘンリー・マルーカス。デイヴィッドは2021年に6勝をマークし、最終戦までチャンピオンの座をアンドレッティ・オートスポートのカイル・カークウッドと争った。惜しくもランキング2位となったデイヴィッドだが、その実力は非常に高い。10月にバーバー・モータースポーツ・パークで初めてインディカーに搭乗すると、インディー・ライツでのライヴァル、カークウッドより速く走って見せた……どころか、バーバーで2年連続優勝をしたこともあるライアン・ハンター-レイ、元F1ドライヴァーのニコ・フルケンバーグを上回るトップ・タイムをマークした。カークウッドはアンドレッティ・オートスポート、ハンター-レイはエド・カーペンター・レーシング、フルケンバーグはアロウ・マクラーレンSPのマシンで走っていた。

マルーカスのマシンのカラースキームも発表された Photo:Dale Coyne Racing

 2021年インディー・ライツ・チャンピオンのカークウッドは紆余曲折の末にAJ・フォイト・エンタープライゼスからフル・シーズン・エントリーする道を選び、マルーカスはデイル・コイン・レーシング・ウィズ・HMDモータースポーツから2022年のインディカー・シリーズにフル出場する。なお、HMDモータースポーツはインディーカーにステップ・アップしてもインディー・ライツのプロジェクトを続けて行く計画ということだ。


JJのフル・シーズン出場が決定

 2021年シーズン終了後にインディアナポリス・モーター・スピードウェイでのテストをロマイン・グロジャンと一緒に行ったジミー・ジョンソン(チップ・ガナッシ・レーシング)は、来る2022年にはインディー500だけでなく、テキサスもゲイトウェイもアイオワも、オーヴァル戦全てに出場する決意を固めた。

 ストック・カーの最高峰=NASCARカップ・シリーズで史上最多タイの7回もチャンピオンになったジョンソンは、2020年でストック・カーを降り、2021年からは幼少期の憧れてだったインディーカーにチャレンジ。初年度はロードコース、ストリート・コースのみへの出場だった。”オープンホイール・マシンでのオーヴァル・レースは危険過ぎる”という家族の反対があったからだった。
 しかし、インディーカーは2020年からエアロスクリーンの装備が義務付けられ、安全性は飛躍的に向上。ジョンソンはインディー500への出場し、さらには、全長1.5マイルで超高速のテキサス、同1.25マイルのゲイトウェイ、同0.875マイルのアイオワでのレースも走るフル・シーズン・エントリーを果たすこととなった。


ダラーラのシャシー供給、インディーカーとの契約・更新

 インディーカーとイタリアのダラーラは、シャシー供給に関する契約を複数年で延長することを発表した。この契約は、現在締結しているシボレー、ホンダの両エンジン・メーカーとの契約と並行して進められ、北米の最高峰オープン・ホイール・シリーズに継続性を備えさせる。
 ダラーラがインディーカーへの参戦を始めたのは1997年。単独でのシャシー供給は2008年に始まり、2012年にはインディアナポリスにファクトリーを開設した。
 ダラーラはインディーカーへの登竜門であるインディー・ライツ・シリーズにもシャシーの独占供給を行っている。


アキュラがLMDhカテゴリーへの参戦体制を発表

 インターナショナル・モーター・スポーツ・アソシエイション(IMSA)の創設したスポーツ・カーのトップ・カテゴリー=DPi(デイトナ・プロトタイプ・インターナショナル)は、世界耐久選手権(WEC)のトップから2番目のカテゴリー=LMP2へ参戦が認められている4コンストラクターのシャシーをベースに自動車メーカーがオリジナル・ボディをデザイン、独自のエンジンを積むもの。シャシー開発に膨大な費用がかからないコンセプトにはキャディラック(ジェネラル・モーターズ)、ニッサン、マツダ、アキュラ(ホンダ)が賛同し、IMSAの北米シリーズは90年代以来となる盛況となった。
 DPiの進化ヴァージョンがハイブリッド採用のLMDhで、WECとル・マン24時間も同カテゴリーの採用を決断。ル・マン側の生み出し、2021年から既に走り出しているハイパーカーなるトップ・カテゴリーと共存することになった。
 トヨタはハイパーカーを今年から走らせており、プジョーが来年、フェラーリの再来年に参戦して来ることとなっている。対するLMDhは、キャディラック、ポルシェ、BMW、アキュラが出て来る。ル・マン24時間という晴れ舞台で日米欧の自動車メーカー7者が覇を競うという凄いことになるかもしれない。ランボルギーニ、アウディ、フォードなどにも参戦の噂はある。
 LMDhでも各社のマシンのベースとなるシャシーはWECなどにオーソライズされたコンストラクターが作るルールとなっており、チーム・ペンスキーと手を組むポルシェは、カナダのマルティマティックでシャシーを作ることに決めた。DPiではマツダと組んでいたコンストラクターで、マツダは残念ながら2021年でDPi出場を終了。LMDh参加計画はない。新規参入のBMWはイタリアのダラーラと手を組んだ(DPiでダラーラを使っていたキャディラックはどうするのか?)。そしてアキュラは、DPiの時と同じくフランスのオレカからシャシーを手に入れる。LMP2ではこれら3社の他にフランスのリジェがコンストラクターとして認定されていて、ニッサンがDPiで使用していた。

ウェイン・テイラー・レーシングのARX-05。2021年は惜しくもウェザーテック・スポーツカー・チャンピオンシップDPiクラスのタイトルを逃した Photo:IMSA

 2023年のIMSAシリーズでアキュラのLMDhマシン=ARX-06を走らせるのは、今年からARX-05でDPiを戦っているウェイン・テイラー・レーシングと、メイヤー・シャンク・レーシングの2チーム。どちらも1台をエントリーさせる予定で、3台目登場の可能性も噂されている。それが上記2チームのうちのどちらかが2カーに拡大する話なのか、もう1チームへの供給が行われるのか、は現時点では不明だ。


ドレイヤー&レインボールド・レーシングがアメリカン・ドライヴァー2人起用でインディー500出場

 セイジ・カラムとサンティーノ・フェルッチ。将来を期待されながら、フルシーズン出場のレギュラーシート確保できていない二人のアメリカンが今年の第106回インディアナポリス500マイルにドレイヤー&レインボールド・レーシングからチームメイトとして参戦することとなった。
 DRRから8回目のインディー参戦となるカラムは、ペンシルヴェニア州ナザレス出身の26歳。彼は2022年も馴染み深いカー・ナンバー=24を纏って走る。彼は2021年のインディーで自己ベストとなる7位フィニッシュを31番手グリッドから達成している
 新加入のフェルッチはコネチカット州の出身。カー・ナンバーは彼の年齢と同じく23となる予定だ。過去3年連続でインディー500に出場している彼は、2019年に7位フィニッシュしてルーキーオブザイヤーに選ばれ、翌2020年は4位、2021年は6位と3年連続トップ10フィニッシュを達成してきている。
 カラムとフェルッチは過去にチームメイトだったことがある。もう10年以上も前のことだ。「セイジのことは5歳の頃から知っている。二人はカートで大成功を収めているんだ。来る5月には、当時と同じような成功が達成できることを願っている」とフェルッチはコメントしている。
 第106回インディー500のプラクティスは5月18日(火曜日)にスタートし、予選は5月21日(土)と22日(日)。決勝レースは5月29日開催だ。


コロナ・ウィルス変異株=オミクロンが世界で急拡大。その影響は?

 来年の2月にカナダのモントリオール、トロントで開催予定だったモーターサイクル・ショーがキャンセルされるという発表が、もう2021年も押し詰まった12月22日になされた。
 トロントといえば、インディーカー・シリーズが近年では唯一開催しているアメリカ国外でのレース。チームやオフィシャルが国境を越えて遠征しなくてはならないために、パンデミックの影響をフルに受けた2020年と2021年は、連続でイヴェント開催ができなかった。
 カナダはワクチン接種で大きく出遅れた苦境を脱し、いまや3回目=ブースター・ショットを広く進めるまでになっている。そんな状況下、今度はオミクロン株が全世界で急拡大す事態となって、ウィルス感染に慎重なお国柄から、多くの人々を集めるイヴェントは開催しない方向へと舵を切り直した。
 2022年、トロントでのインディーカー・レースは無事に開催に漕ぎ着けることができるだろうか?
やや雲行きが怪しくなっている。カナダとアメリカの国境線が再び閉鎖されることとなる可能性は、十分に考えられる。2022年のレースは7月17日に決勝レースが行なわれる予定。まだ半年以上あるので、ウィルス感染が沈静化してくれることを祈る。


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