佐藤琢磨 インディー500優勝特集 優勝スピーチ全文掲載!

Photo:INDYCAR (Joe Skibinski)
皆さん、本当にありがとうございます。
最初にお詫びしなくてはなりません。あのへルメットの中からの醜い叫び声についてです。日本のテレビ放送でもコメンテーターが叫んでいたようですね。日本人は礼儀正しく静かだと思っていましたが、狂ったように叫び声を上げてしまう民族でもあるようです。でも、あれが自分の気持ちの現れでした。自分の感じたままだったんです。インディアナポリス・モーター・スピードウェイでの500マイルに渡るレース、挑戦する回数が増えるほど、このレースへの敬意は高まって行くんです。

 まだ小さな子供の頃、6歳か7歳ぐらいだから、、もう30年以上も前。テレビにリモコンはなく、チャンネルをまだダイヤルで変えていた頃です。とても速いスピードで争われているレースを見ていました。何のレースが当時はまったくわかっていませんでしたが、クルマがコースをぐるぐる走り回っていました。今思えば、あれがインディ500だったんですね。F1はまだ日本で放映されていませんでした。オープンホイール、オープンコクピットのマシンによるレースでテレビが放送していたのはインディだけでした。私はそのレースを見るのが好きで、2時間半見続けました。つまり、その頃からインディ500というレースは、常に私の心の中にあり続けていたのです。ありがとうございました。

 今回はメモを作って来ました。初めてのことです。長いスピーチになりますからね。昨晩は3時間半しか寝ていないので、話があちらこちらに飛ぶかもしれません。
インディ500は世界で最も偉大なレース。コースは本当に世界のベストです。ハルマン・ジョージ家の皆さんが私たちにレースをする場を与えてくれていること、深く感謝します。私に世界最高のレースに出場するチャンスを与えてくれていることにもお礼を申し上げます。
 世界のベストのドライバーたち、暖かい言葉をありがとう。こんなにたくさんの友達がいるとは知りませんでしたが、それはおそらく、今日私が高額の小切手をもらったからでしょう。

 最高の自動車メーカー、ホンダ。非常に競争の激しいレースでライバルを打ち負かすという素晴らしい仕事をしてくれました。ありがとうございます。2~3年の間に優劣が入れ替わる激しい戦いが強力なライバルを相手に繰り広げられて来ている中、インディアナポリス・モーター・スピードウェイで力強いパフォーマンスを見せたことは、実にファンタスティックでした。

 インディはファンも最高です。みんなが話題にしています。35万人がインディ500には集まってくれるんです。
 
ここで叫び声の話に戻らせてください。チェッカーフラッグを受けた後、私は大声をあげていました。無線のスイッチをオンにしていたのは、放送されてオーケーという意味ではありませんでした。
 しかし、私は気づきました、アクセルを戻した時に。11,000rpm以上回っている時に歓声はまったく聞こえません。とてもカラフルなスタンドはよく見えていますけれどね。ターン1のスタジアムのようになったところは、本当に感激するほどの景色になります。優勝してスロットルを戻し、エンジンが静かになった時、私は大きな歓声を聞くことができました。ありがとうございました。

 私たちは信じられないほど激しい戦いを、これまでにも毎年見せて来ました。私自身もレースのファンです。そして、エキサイティングなレースこそがファンの愛するもので、すべてのドライバーたちもそれは同じです。本当のことです。
 今日、私はこうして表彰台の真ん中に立ち、個人的にとても幸せですが、私はいつも、インディ500を戦っている時、なんてエキサイティングな、競争の激しいレースなんだろうと感謝の気持ちを抱いています。
 昨日のレースでの最後の6周、あれは自分のキャリアの中で最も長い6周でした。
勝った瞬間、私は信じられないような感激に襲われました。
私たちのマシンは速かった。そこに疑いの余地はありません。チームの努力の結晶です。26号車はグリッドについた中で最速の存在となっていたのです。私の後ろにいるクルーたちのおかげです。あのマシンは私に闘うための自信を与えくれました。なぜ速かったのか。アクセル全開で走り続けたから。そうです。それは私がAJから教わったことです。 彼は、「サトウ、オーバルはどう走るべきか知っているか?」と聞き、私は、「ステアリングの舵角を小さくしてタイヤを摩耗させないこと?」などと答えましたが、AJは、「大事なのは右足だ」と言い続けていました。とにかく全開で行けってことです。このマシンではそれが可能でした。もちろん、出場者全員がそれは可能だったでしょう。ただし、タイヤがフレッシュな時、10周ぐらいのことだったと思います。その後はタイヤのグリップが低下してしまう。それがレースをおもしろくするのは事実です。タイヤが摩耗した時に、マシンによってはハンドリングがニュートラルになり、マシンによってはアンダーステアが強くなってアクセルを戻さなければならなくなります。風向きにもよりますが、例えばターン2の出口などでです。しかし、私のマシンはハンドリングが悪くなることなく、コーナリングをすることができていました。そこに大きな自信が生まれ、100パーセントの走りができました。
 最後の6周、エリオが猛攻を仕掛けて来ました。ターン3でのアウトサイドからのアタックでした。あれは信じられない走りでした。エリオとバトルができる時、私はそれを大いに楽しむことができます。彼は素晴らしい友人で、信頼して闘うことができます。彼はいつも紳士的なドライバーです。ジェントルマンといっても、年配のドライバーという意味ではありません。シリーズでも最も競争力の高いドライバーの一人であり、チャンスには思い切った走りが可能なドライバーのエリオは、歴代最多タイの4勝目を狙っていました。その一方で、私も2012年の一件がありました。ほとんど勝てそうなところまで行きながら、ターン1をゴールと反対方向を向いて出て来てしまった。あの時のことが思い出されました。先ほどの映像でも少し見えましたね。私はあの時にどんなミスを自分は冒したのか、何が悪かったのか、何が自分にはできたのか、するべきだったのか、何百回も繰り返し思い出し、考えて来ました。そのおかげで昨日のようなチャンスが訪れた時、残り3周でエリオがターン1でアウト側からアタックして来た時、私は自分のラインを守れました。彼には外側にスペースを残しました。十分なスペースを。
 そしてコーナーへのターン・インを迎えました。あの時の走行ラインは、2012年とまったく同じだと考え、白線を踏まないことだけに注意して走りました。2~3年前にカルロス・ムニョスが白線を常にカットして走る新しいスタイルを生み出して以来、近年のインディ500ではみんな白線を横切るラインで走るようになっていますが、やるなら大胆に白線をカットしないといけません。白線に乗り続けるようなライン採りはダメなんです。ラスト3周、エリオがあのアタックを仕掛けて来た。私はコーナーの低い側に飛び込むと、マシンを白線から数インチの所に保ちました。それは2012年に学んだ大事なレッスンで、今年はターン1を正しい方向を向いて出て来ることができました。
 ありがとうございます。

 私のスポッターは叫び続けていました。「エリオが3車身後方」、「2車身まで来た」、「1車身」、「アウトから並びかけている」、「リヤバンパーに肉薄」……と叫んでいました。私も彼が迫って来るのを感じていました。しかし、最終ラップのターン4の出口から加速した時、勝利を確信しました。すると自分の感情、興奮を抑え切れなくなって、本当に嬉しくて、だから大声で叫んでしまったんです。
次に私のキャリアについて話させてください。自分にとっては小旅行という印象ですが、実際には長い道のりです。誰かが言ってましたね、TKでした。私は40歳ですから。

 昨日、エリオと戦っていました。彼は42歳で、私は40歳。二人合わせて82歳の1-2フィニッシュですよ。悪くないですよね?
 私とレースの関わりは1987年に始まりました。当時の私は車が大好きでしたが、レースは知りませんでした。しかし、車が好きなら、と父と彼の友人が私を鈴鹿での最初のF1グランプリに連れて行ってくれました。初めてのサーキット、初めて見るレーシングカーがF1マシンでしたが、ターボエンジン搭載で、凄い排気音で、一発で虜になりました。レースを見てただただ興奮し、プロのレーサーになること、F1ドライバーになることが自分の夢になりました。
 しかし、両親はまったくレースのことを知らず、レーシングカーに乗るチャンスがくることはありませんでした。私にあったのは金属フレームで二輪の、ペダルがついた……自転車でした。自転車を漕ぎながら自動車レースのことを想像し、本当のレーシングカーに乗るまでに10年間かかりました。高校と大学に通っていた頃です。自転車に乗ること、自転車のチームで走ることは楽しかったのですが、本当に満足し切ることはできませんでした。何かが足りないと感じていました。それは自動車のレースでした。
大学生の時、オートスポーツ誌を読んでいて、18歳、19歳でレースの世界に、F3などでプロとしてのデビューをする人がたくさんいると知りました。羨ましかった。自分に何ができるのか、どうやったらレースに出場できるのかを考えていた時、雑誌にレーシングスクールの話が出ていました。鈴鹿サーキットのスクールでした。鈴鹿はホンダのコースです。
 鈴鹿レーシングスクールには20歳以下という年齢制限がありました。当時の私は19歳。次の年が私にとって最初で最後の入学のチャンスでした。
両親に「チャンスをください」と言いました。「ダメだったらレースの道はキッパリ諦める」とも。もちろん、自分では自分がダメだなんて、まったく考えていませんでしたが、スポンサーから資金を得るための交渉術です。
スクールでは幸運にも奨学金を勝ち取ることになりました。それがレース活動のスタートとなりました。奨学金でイギリスに飛びました。外国に住んだことがなかったから英語が話せなかった。でも、英語は絶対に必要だったので、語学学校に毎日通いました。イギリス人の家庭にホームステイして、週末にジュニア・フォーミュラのレースに出場するという生活を送りました。そしてイギリスF3へと進み、そこでチャンピオンになってF1へとステップアップすることができました。フェルナンドのF1入りと同じ頃でした。とても良い思い出です。
 ありがとうございます。

 しかし、環境は変わって行きます。その間の2004年には、信じられないような思い出ができました。USGP、ここインディアナポリスで行われたF1のレースで表彰台に上ったのです。一応、参考までにお知らせしておきます。インディアナポリスは私にとって特別な場所なのです。
 その後、インディに来る機会を得ました。2009年のインディ500の予選を私は見に来ました。そこで大きなショックを受けました。F1から来た者としては、この点を誤解しないでくださいね、批判をしているわけではないので。F1から来た者にとっては、スピードに驚かされるなんてことが想像できないんです。しかし、230mphという速度でターン1へと飛び込んで行き、曲がって行く。それも壁ギリギまでを使って。一体どうなっているのかとショックを受けたんです。ターン1のイン側で見ていると、ドライバーたちがステアリングを操作しているのが見えました。230mphでコーナー進入して、リヤが滑り出して、ステアリングで修正…………感銘を受けました。感動し、自分もドライブしたいと強く感じました。インディカーで走りたい気持ちが強くなったので、ほぼ全チームのオーナーたちに会いに行き、挨拶をしました。その中の一人がジミー・バッサーでした。彼が私に素晴らしいチャンスをくれたんです。それで2010年と2011年はKVレーシングで走り、インディカーのことを学びました。とても良い思い出です。
 その後、2011年にはレイホール・レターマン・ラニガン・レーシングに移籍しました。ボビー・レイホールが私にチャンスをくれました。その2012年、インディで優勝目前まで行きました。勝てなかったのはボビーに申し訳なかったんですが、その後にグレアムが素晴らしい活躍をしていますから、それを見るのは私としても大変嬉しいことです。その後にはAJのチームで走る機会を得ました。AJは4年間も彼のチームで走るという大きなチャンスをくれたのです。これもまた素晴らしい思い出です。
 そして、最後がマイケルです。こんなにすごい、信じられないようなチャンスをくれました。ありがとう、マイケル。僕を選んでくれて。このオフの間はアンドレッティ・オートスポートに移籍するんだと、本当に嬉しくて仕方がありませんでした。ありがとうございます。
 アンドレッティ・オートスポートで驚かされたのは、エンジニアリング部門の奥深さとリソースの多さでした。極めて洗練されたプログラムがチームにはありました。
勝つことだけに興味を持つマイケルが作り上げたんです。彼はロジャーの記録にチャレンジするつもりです。先ほどのスピーチでも言っていましたね。ロジャー・ペンスキーさんを上回ろうというのです。全力で戦う姿勢、そして勝つことが私たちも大好きです。それだけがマイケルが望んでいることです。
 JF・ソーンマン(社長:ギャレットの右横)、ロブ・ウィリアムズ(COO)、エリック・ブレッツマン(テクニカル・ディレクター)、みんなが素晴らしい仕事をしています。これだけたくさんの人間をまとめ、持てる力をすべて引き出すというのは大変なことです。ダグ(役職不明)、ライアン(PRマネジャー?)、ダンパー・プログラムのディレクターのジョッシュは適材適所に人材を配置し、必要な機器を導入しています。ファブリケーション担当のコーリー、素晴らしい仕事をします。ジェイソン・・・・とみんなが力を発揮しています。チームの力が凄いと感じています。

 チーム力といえば、ドライバーのチームメイトたちも最高です。ライアン・ハンター-レイは本当のチャンピオンです。500ウィナーでもあります。ライアンと僕は違うチームで戦っている間には少々ありました。深く掘り下げるべき話題ではないでしょう。しかし、彼こそが私が最初にチームに足を運んだ時、最大の歓迎をしてくれた人でした。優れた人格も備え、レーシングドライバーとしての才能も大きなものを持った人がライアンです。思慮深さを持ってプログラムを組み立てています。非常に理論的な考え方の持ち主で、エンジニアのレイ・ガスリンとマシンを作り上げています。そして、彼らのマシンというのは、とても興味深い仕上がりとなるのです。ライアン、サポートをありがとう。
アレックス(・ロッシ)。去年のインディでの勝利は凄かった。彼のとても低く、クールな声が好きです。彼はいつもクールな人間でもあります。私が、「今日のマシンはどう?」と尋ねると、「いいよ」と一言。「それだけ?」、「そう。いいよ」、「わかった。それなら98号車のセットアップで行って見るよ」。こんな感じで情報交換をしながらマシン・セッティングの土台をみんなで作り上げて行きました。

マルコ(・アンドレッティ)。彼は凄いドライバーです。バンクの上の方を走るのが好きなのは知ってましたが、チームメイトになってみて凄さを改めて知りました。ジミー・バッサーの話になりますが、彼はいつも言っていたんです。「タク、覚えておけよ。最初のラップのターン1はアクセル・オフ。絶対に全開で行っちゃダメだ」と。それがマルコの場合、最初のラップのターン3ですでに全開。ターン4も全開。ターン1も全開です、いつでも。信じられないことですけれど。彼の感覚の鋭さ、オーバルコースで右リヤに何が起こっているのかを感じ取る力には驚くべきものがあります。我々のセッティングは彼のそうした能力に頼って作られているところがあります。ファンタスティックなチームメイトです。ありがとう、マルコ。

 長過ぎるスピーチになっちゃっていますね。ごめんなさい。
 ジャック(・ハービー)、長期間一緒に働いてくれてありがとう。
 フェルナンド。“頑張ります”。その通り。F1で楽しい時を一緒に過ごしましたが、今回については、あのかっこいい電動のスケードボードを持ち込んでくれたことに感謝します。私は電動のキックボードをガレージに持ち込んでいて、それで移動しようと考えていたんですが、イエローシャツ(スピードウェイの警備員)に止められ、それは使ってはいけないと言われました。伝統だから、ルールだから、と。私は「わかりました」となりましたが、フェルナンドはスケートボードを使い続け、あくる日からルールが変わって、私の電動キックボードも使用オーケーになりました。ありがとう、フェルナンド。
 最後に、大きなサポートをしてくれた方々にお礼を言いたいです。ホンダとHPDは本当に頑張ってくれました。すべてのスポンサーにも感謝します。インディ500で私たちのマシンにはプライマリー・スポンサーがつきました。このマシンを見てください。住宅ローンのルオフです。コナー、家を買いたいと考えているなら私がCEOを紹介できますよ。その他のスポンサー、パナソニック、ラグジュアリーカード、アビーム、そしてアンドレッティ・オートスポートの多くのスポンサーが優勝の支えとなってくれました。ありがとうございます。カナキタ、ANA、NGKスパークプラグ、グリコ、デサント、NAC、タカタ、アライ・ヘルメット、スタジオ・コメ、ありがとうございました。
 最後に、私のクルーです。紹介します。ありがとうございます。あれ、どこだ? ズィギー、素晴らしかった。ロランド(・コロナード=クルーチーフ)、グランド、トーマス、ケビン、ライアン、バリー、マイク、キャメロン、ジェイソン、みんな、本当にありがとう!
以上

2 件のコメント:

  1. 書き起こしありがとうございます。天野さんにとっても待望のインディ500での琢磨選手の優勝。本当に良かったです

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  2. 天野さんいつも情報ありがとうございます。

    琢磨選手の素晴らしい人柄や性格などが垣間見えました。
    この調子でシリーズチャンピオン期待してます。

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