2011年10月17日月曜日

2011 INDYCAR インサイド情報&ニュース 第17戦 IZOD インディーカー・ワールドグランプリ・アット・ラスベガス:追悼 ダン・ウェルドン 「今は言葉もない。ドライバー紹介の時には冗談を言い合っていたというのに、ダンはもういなくなってしまった」――ダリオ・フランキッティ

会見するインディーカーCEOランディ・バーナード
Photo:INDYCAR(Shawn Gritzmacher)
ラスベガスで起きた悲劇。ここに何人かのコメントを掲載したい。改めて、ダン・ウェルドンの冥福を祈りたい。

インディーカーCEO:ランディ・バーナードの会見での声明
「悲しいことですが、インディーカーはダン・ウェルドンが亡くなったことを発表します。生き延びることのできない負傷となってしまったのです。私たちの思いと祈りはダンの家族と共にあります。インディーカーとインディーカーのドライバーたちは、このレースを終了することを決めました。私たちは、ダンを讃えるために5ラップを走ります」

チーム・オーナーのサム・シュミットの声明
「ダン・ウェルドンはとてつもないコンペティターであり、偉大なるレーサーであり、それ以上に素晴らしい人物でした。彼をチームの一員として迎えられたことを我々チームは栄誉と感じています。サム・シュミット・モータースポーツはチームのスタッフ全員が彼を失ったことを深く悲しんでいます。サム・シュミット・モータースポーツを代表し、彼の家族、特に奥さんのスージーと、彼らのふたりの子供にダンへの哀悼の意を表します」

3年連続、4度目のインディーカー・タイトルを獲得したダリオ・フランキッティ
このような形での3年連続タイトル決定に、フランキッティも動揺を隠せない
Photo:INDYCAR(Chris Jones)
「今は言葉もない。ドライバー紹介の時には冗談を言い合っていたというのに、今、もうダンはいなくなってしまっている。ダンがまだ小さい頃から、僕は彼とゴーカートでレースをしていた。みんなも知っているとおり、彼はインディーカーにステップアップして来て、僕のチームメイトになった。僕らはまた友だちとなって、チップ・ガナッシ・レーシングでもチームメイトになった。チャンピオンシップ獲得、各レースでの優勝に向け、お互いにプレッシャーをかけ合った。それこそが、僕らがともに愛して止まないことだった。僕らの生きがいなのだから。しかし、今日のような日が来ては、それらも何の意味も持たなくなってしまう。
 私たちと、私は良い友を失った。インディーカー・シリーズでは、皆がダンの友だちだった。ダンは所謂特別な、特別な存在だった。初めて彼がインディーカーに現れた時には、少々無礼な感じもあったが、彼は魅力的な人だった。そして、後に彼は人を愛する、家族的な男になった。彼は依然としてチャーミングでありながら、新しい一面を身につけた。スージーと子供たちのことを僕は考えている」

2011 INDYCAR インサイド情報&ニュース 第17戦 IZOD インディーカー・ワールドグランプリ・アット・ラスベガス 決勝:アクシデント発生直後、ドライバーたちの反応

ラスベガス戦のダン・ウェルドン
Photo:INDYCAR(Bret Kelley)
 ダン・ウェルドン(ブライアン・ハータ・オートスポート/サム・シュミット・モータースポーツ)はアクシデントの時もスピードをほとんど下げていなかった。前方で多重クラッシュがすでに発生していたのにはもちろん気づいていたはずだが、急減速する2台に突っ込んで行った。それは、クラッシュしているマシン群の間をすり抜けてレースを続けることが可能と信じていたようだった。
 しかし、それは500万ドルという破格の賞金がかかっていたからでも、インディー500で2勝し、チャンピオンにも一度なっている彼が慢心をしていたからでもなかったはずだ。レーシングドライバーという人々は誰もが皆、「アクシデントは自分には起こらないもの」と考えて走っている。
 レースが中断されている間、ドライバーたちが語ったコメントを集めてみた。この時点で、彼らはもうウェルドンの身に何が起きていたのかをわかっていただろうが、まだ一縷の望みを持っている状況だった。

ダリオ・フランキッティ
「このコースはインディーカー・レースに向いていない。誰もが集団の中でスタックし、動きが取れなくなってしまう。それはエンジンの差でも、マシンの差でも、ドライバーのテクニックの差でもない。僕はハードにレースを戦うことは大好きだが、コレはちょっと違うと思う」。

ライアン・ブリスコー
「まるで戦場のようだった。パーツや金属片がマシンから外れて飛び散っていた。今までに見たことのない光景だった」

エディ・チーバー(元インディカー・ドライバーでインディー500ウィナー。現テレビ解説者)
「時速220マイルでの多重クラッシュ。これはまるで飛行機事故のようだ」

ダニカ・パトリック
「今日を迎えるにあたって、私は神経質になっていた。高速での接近戦で何かが起こるのは間違いないと考えていたから。自分がそれに巻き込まれる可能性は当然十分にある。アクシデント現場は映画のシーンのようだった。マシンの破片がコース全体に散らばってて、臭いを感じたし、まだ燃えているものもあった」

トニー・カナーン
「惨事の可能性は当然大きくあった。自分のキャリアの中でも最悪のアクシデントとなった」

ジェイムス・ヒンチクリフ
「アクシデント現場にスローダウンして戻って来たが、そこで見た光景をどう言葉で表現したらいいのか僕にはわからない」

2011 INDYCAR 佐藤琢磨コメント95 第17戦 IZOD インディーカー・ワールドグランプリ・アット・ラスベガス 決勝「シーズン最後のレースを力強く戦いたかったですが、今シーズン最後まで満足のいくリザルトを残せなかったことは悔しいです。ただ、チームも含めてすごくポテンシャルを示せたという点では3年目への手ごたえを感じています」

ラスベガスで少年ファンにサインする琢磨
Photo:INDYCAR(Shawn Gritzmacher)
インディーカー2年目はランキング14位でシーズンを終了
 不幸なアクシデントが発生し、ダン・ウェルドンが亡くなった。悲しく、辛いラスベガスでの最終戦となってしまった。フィニッシュ順位によってはファイナル・ランキングでのトップ10入りも可能だった佐藤琢磨(KVレーシング・テクノロジー・ロータス)だったが、最終戦がキャンセルとなったため、デビュー2シーズン目はランク14位で終えることとなると見られる。レース直後、サーキット全体が悲嘆に暮れている中だったが、琢磨選手に自らのシーズンを振り返ってもらった。

自分自身がもっと前進できるように頑張っていきたい
Jack Amano (以下――):今シーズンを振り返ってください。2回のポールポジションがありました。不幸なアクシデントの直後で申し訳ないのですが、自己評価はどのようなものになるのでしょう?
佐藤琢磨:まぁ、そうですねぇ……後はこういう形になったので何とも言えないんですけど、一個前のケンタッキーでのレースがね、スピードが伸びないマシンであったけれども、ドライバーとしてできる部分でのオーバルでのパフォーマンスは見せることができたと思います。今日はクルマも大分スピードを上げて行けていたので、シーズン最後のレースを力強く戦いたかったんですけどね……。最後まで満足の行くリザルトっていうのを残せなかった点はすごく悔しいです。チームも含め、すごくポテンシャルを示せたシーズンにできていたと思いますので、今年の経験や勢いを是非とも3年目に繋げたいなという風に希望しています。
――こんな時ですが、ファンへの言葉とか、ありますか?
佐藤琢磨:シーズンを通してずっと応援をしてくれたファンの皆さん、そしてスポンサーの方々にはとても感謝しています。今シーズンは、去年はできなかったような走りが自分でもできるようになったし、非常に自分自身としても期待値が上がるレースができたので、そういう走りができたことは本当に幸せでした。今年は日本で大きな震災があって、大変な時代になっていますが、そんな中でもレースをして、最後のインディ・ジャパンもしっかりとイベントとして行うことができて、すごく良いシーズンだったと思います。後は、自分自身がもっと前進できるように頑張って行きたいと思います。

2011 INDYCAR 佐藤琢磨コメント94 第17戦 IZOD インディーカー・ワールドグランプリ・アット・ラスベガス 決勝 「トラックはバンクが急でコーナーの半径が大きいので、集団で走っても3ワイドになりやすい面はありました。実際に、何がどういう状況で多重アクシデントに繋がってしまったのかは、僕もまだリプレイを見てないし、事故自体が僕より後ろで起きたのでわからないんですけど、お互い非常に接近してたので、こういう事故になってしまったのかな、とは感じます」

ウェルドン追悼のためのパレードラップを走る琢磨(左手前)
Photo:INDYCAR(SはwんGritzmacher)
好感触だったレース序盤。その直後にアクシデントが

 予選16位から走り出した佐藤琢磨(KVレーシング・テクノロジー・ロータス)は、マシンに好感触を得ていた。アンダーステア傾向はあったが、ピットでのセッティング変更などで対応可能な手応えをつかんでいたのだ。しかし、わずかに10周を走っただけで多重アクシデントが発生。名手ダン・ウェルドン(ブライアン・ハータ・オートスポート/サム・シュミット・モータースポーツ)が帰らぬ人となってしまった。レースは赤旗中断から終了、すなわち不成立となった。アクシデントに遭わず、まだ走れる状態にあったマシン郡がウェルドンに哀悼の意を示すために5周回のパレード・ラップを行った。ピット・ロードにはチームのクルーたち、ホンダやファイアストンのスタッフ、そしてファンが並び、5周を見守った。

Jack Amano(以下――):事故後にインディーカーがドライバーたちを集めたミーティングを行っていましたが、そこでは何が話し合われた、あるいはインディーカーから何かが告げられたのでしょうか?

佐藤琢磨:まずは正確な状況を伝えてもらって、その上に立って、どうするべきかというのを話し合いました。まぁ、ドライバー同士の決め事と、主催者を含め、どうするのがベストなのか……ということで。そして、ダン・ウェルドン選手への追悼の意を表するためのパレードを行なって、レースというか、シーズンを終えようということが決まりました。

――そうした決断にはドライバー側から何らかのインプットがあったのでしょうか?

佐藤琢磨:まぁ、レースをするべきだっていくことと、止めるべきだという話があって、レースをするなら、とにかくクリーンなレースをしなければいけない。いろいろなシナリオがありましたけど、最終的には追悼パレードに決まりました。

――アクシデントまで10周プラス、非常に短いレースでしたが、佐藤選手はどういう戦いぶりになっていたのでしょう? また、そこまでのレースをどう感じていたのでしょうか?

佐藤琢磨:そうですねぇ、スタートから長いレースになることはわかっていましたし、ずっと集団で行くのもわかっていたので、無理をせず、ただ、お互い接近をしている状態だったのでね、レース自体は非常にエキサイティングだったんですけど、僕自身も少しずつ、周回ごとに順位を上げて行って、クルマの調子も集団の中でとても良さそうだったし、前を追って行くことは十分だという手応えをつかんでいました。

――今までのレースとは違ったリスクは感じていましたか?

佐藤琢磨:ウーン……確かにトラックはバンクが急でコーナーの半径が大きいので、本当に集団で走っても3ワイドになりやすい面はありました。僕も今日、3~4回、3ワイドになることがあったんだけれども、お互いにリスペクトしてポジションをしっかりホールドして……タフだけれどもクリーンなレースができていました。実際に、何がどういう状況で多重アクシデントに繋がってしまったのかは、僕もまだリプレイを見てないし、事故自体が僕より後ろで起きたのでわからないんですけど、お互い非常に接近してたので、こういう事故になってしまったのかな、とは感じます。

――これまでにもインディーカー・シリーズでは不幸な事故が起きてきましたが、琢磨選手が参戦するようになってからは初めてと思います。ウェルドン選手に対して、あるいは御家族に対しての言葉はありますか?

佐藤琢磨:本当に辛いです。ダン選手はもちろんインディーカーに来る前から、彼はイギリス人で、僕はイギリスF3をやってたこともあって、まるで繋がりがないってことじゃなかったし、500のウィナーとして今年も力強いレースをしていて、家族もまだ本当に小さな子供が二人いて、非常に辛い状況だと思います。御冥福を御祈りします。本当に残念ですけど、今日こうしてパレードを行うことで、このレース自体は終えることができたし、ダン・ウェルドン選手にとっても、残された家族は辛いですけど、まずは一区切りになるのかな、と思います。これからドライバー同士ででき得るサポートっていうのは、これから何があるのかわからないですけど、最大限、彼の家族のサポートをして行きたいと思います。

2011 INDYCARレポート 第17戦 IZODインディーカー・ワールドグランプリ・アット・ラスベガス決勝:ダン・ウェルドン、ラスベガスに死す

クラッシュを逃れたマシンで行われた5周のウェルドン追悼ラップ。
これほど悲痛なインディーカーの走行がかつてあったろうか。
ダン・ウェルドンに謹んで哀悼の意を表したい。
Photo:INDYCAR(LAT)
偉大なるオーバルレーサー、ダン・ウェルドン ラスベガスに死す
 ラス・ベガス・モーター・スピードウェイでスタートが切られた2011年インディーカー・シリーズ最終戦は、11周目のターン2で多重クラッシュが発生し、15台が巻き込まれた。このアクシデントで大きく宙を舞に舞い上がり、セイファー・ウォールに激しく突っ込んだのがウィル・パワー(チーム・ペンスキー)とダン・ウェルドン(ブライアン・ハータ・オートスポート・ウィズ・サム・シュミット・モータースポーツ)で、パワーは無事だったが、ウェルドンはヘリコプターで搬送された病院で死亡した。
 レースは事故直後に赤旗となり、そのまま終了。ウェルドンを追悼する目的でアクシデントに遭わなかったマシンが1列3台ずつ並んで5周の走行を行なった。
 最終戦は成立しなかった。インディーカーから正式な発表はまだなされていないが、シリーズ・タイトル、ポイント・スタンディングは第16戦ケンタッキー終了時点でのもので決定することになるはずだ。
 ウェルドンは1996年にインディー500で初優勝し、今年2勝目を挙げた。シリーズタイトルはインディーで最初に勝った96年に獲得している。今日のレースに出場していたドライバーの中でもオーバルレーサーとしての評価はトップ・レベルにあったのだが……。偉大なるレーサーの冥福を祈る。

2011 INDYCAR レースプレビュー R17 ラスベガス:大量34台がエントリー、新しいスポンサーも登場。琢磨車にはベガスの有名ホテルがスポンサード

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 いよいよ、最終戦の決勝、このダラーラも見納めですねぇ。現役が9年間も続いた前代未聞の長寿レーシングマシン。コクピット前の盛り上がり、プルロッドのフロントサスペンションが特徴的なマシンでした。ライバルのGフォース=パノスを完全に駆逐する性能があったことで、シリーズの思惑は外れてシャシーがワンメイクになってしまいました。来年からはもっとスリックなダラーラに変わります。