2012年10月25日木曜日

2012年INDYCAR レビュー 第2弾 :チーム編 その1 アンドレッティ・オートスポート 「低迷からの脱却は本物か? カギ握るマルコ・アンドレッティの復活

2008年から続いていた低迷から脱しついに4度目のタイトル獲得 

 2010年シーズンからアンドレッティ・オートスポートを名乗るチームは、2003年からIRL(現インディーカー・シリーズ)に参戦を始めたアンドレッティ・グリーン・レーシングがその前身だ。彼らはIRL参戦2年目の2004年には早くもトニー・カナーンをチャンピオンの座に着け、2005年にはダン・ウェルドン、2007年にはダリオ・フランキッティとタイトルを獲得。この6年の間にインディー500で2勝(2005年=ウェルドン、2007年=フランキッティ)を挙げてもいる。
 ところが、2008年から彼らは苦境に陥った。マシン作りの中核となっていたフランキッティがNASCAR挑戦を理由に離脱した上、資金不足のためにマシン開発の手を緩めたことが成績低下を招いた。さらには、成績不振が始まったチーム内でエンジニア間に不協和音が出て、首脳陣の一部でモチベーションがダウン。チーム全体の活気が失われていた。

マルコの復調が真のチーム復活へのカギ

 
 2009年、AGRは1勝もできなかった。ここで元チャンピオンでチーム・オーナーのひとりのマイケル・アンドレッティが体制革新へと動いた。共同オーナーたちからチームの所有権を買い取り、彼ひとりで全権を掌握、トップチームの再建を目指すこととなったのだ。
 すると2010年、彼らは2勝を挙げ、2011年には3勝、さらに2012年にはライアン・ハンター-レイが4勝してシリーズチャンピオンに輝いた。まるでトントン拍子で復活がなされたかに見えるが、彼らがスイスイと体制の立て直しに成功して来たわけではなく、実際にはまだまだ不安定な状態が続いている。今年の彼らによるチャンピオンシップ獲得は、新シャシーへの対応などでライバルチームにも不備があり、混沌としていたためになされたものだった。
 本来なら、アンドレッティ・オートスポートというチームの中心となるべきは、アンドレッティ家の三代目=マルコ・アンドレッティの26号車チームのはずだ。しかし、マルコは父親や世間の期待とは正反対に、2012年にチーム内で最も実力を発揮できていないドライバーとなっていた。担当エンジニアのエディー・ジョーンズを開幕後に放出(成績が出ないとエンジニアをコロコロ換えるのはトニー・カナーン先輩の置き土産か)、チームのテクニカルディレクターであるアレン・マクドナルドがレースエンジニアにつけたが、それでもロードコースでのパフォーマンス不足は最後まで解消されなかった。