2018年5月14日月曜日

2018 INDYCAR レポート R5 インディーカー・グランプリ:ペンスキー200勝

Photo:Team Penske クリックして拡大
インディーカー参戦50周年で200勝達成!
 

 2018年インディーカー・グランプリでウィル・パワーが優勝! 1996年設立のチーム・ペンスキーはインディーカーでの200勝目を記録し、ペンスキー広報から”インフォグラフィック(青文字部分をクリックすると拡大できます)”が届いた。
 チーム・ペンスキーのインディーカー・デビューは創立からは2年後の1968年だから、今年彼らはインディーカーでの50年目を戦っている。チーム創業はロジャー・ペンスキーのドライバー時代を除き、彼が引退宣言をした翌年、彼以外のドライバーを起用したチームを運営し始めた1966年と彼ら自身が設定している。半世紀以上もチームが続いてるのは驚異的。しかも、勝ち続けているところが更に凄い。去年と一昨年は17戦のシリーズで10勝も挙げた。強過ぎだ。


インディーカー通算勝利数は、ご覧のとおり2位のチップ・ガナッシを大きく引き離す Photo:Team Penske クリックして拡大
、30勝でペンスキー最多勝利ドライバーに
 
 史上最強チームでウィル・パワーが記録して来た勝利数は「30」。圧倒的なスピードを感じせたかと思うと、驚くほどの脆さも見せる不思議な魅力の持ち主はついにチーム・ペンスキー史上最多勝ドライバーになった。タイトルを何度も獲り逃したのを見て来たが、これだけ勝ってるのだから、いい加減に私の中での彼のイメージを改めなくちゃいけないのかもしれない。つい先月、1人だけスピン&クラッシュしたウェットレースを見たばかりだけれど……。
 パワーと同じ30勝のエリオ・カストロネヴェスはタイトルを獲っておらず、ランキング2位で涙を飲んだ回数も彼ら2人は4回で同じだ。
 あのリック・メアーズは29勝。ウィルとエリオは彼より勝っているワケだ。インディー500で史上最多タイの4勝を挙げている”レジェンド”の上を行く彼らには、やっぱりもっともっと敬意を払って接しなければいけないだろう。

甦るレジェンド・ドライバーたちの名シーン


チーム・ペンスキーで勝利を記録したドライバーはこれまで19人。優勝できなかったドライバーのリストにもそうそうたる顔ぶれが並ぶ Photo:Team Penske クリックして拡大
  並んだ写真を見ていると色んなシーンが蘇って来る。エマーソン・フィッティパルディはパトリック・レーシングでの活動後にチーム入りしたのに11勝もしたのだなぁ……。アル・アンサーJr.もギャレス・レーシングで一時代を築いた後の参画で、エモ越えの12勝。
 ポール・トレイシーの写真は”良い子”を装ってた(マールボロに装わされてた?)頃のもの。当時のチーム・ペンスキーはポートレートのプロにスタジオで撮らせた大型プリントをプレスキットに入れてたもんです。
 その他の54勝の写真はゲイリー・ベッテンハウゼン、ライアン・ブリスコー、シモン・パジェノー、そしてマリオ・アンドレッティ(1977〜1980年)!
 コース別のセクションにインディアナポリスで20勝とありますが、レイアウトのイラスト=スーパースピードウェイ=インディー500では16勝。ロードコースでの4勝目が今回。
 

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  優勝コースには現在シリーズで使われていないサーキットも。その中で復活して欲しいのはミルウォーキーとミシガン。ナザレスはもう壊されてなくなってしまった。バックストレッチが下り坂のユニークなコースだった。

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  10年毎の勝利数を記したコーナー。トップはマーク・ダナヒュー駆るマクラーレンM6B/オッフィー。
 次の黄色いマシンがアル・アンサーが乗って1987年インディー500に勝ったマーチ86C/コスワース。ペンスキー・カーズ(当時はレーシング・カー・コンストラクターも持ってたんですよペンスキー、イギリスに)のPC-15がダメだってんで1年落ちのマーチを3カー・チームの全員に採用して、PC-15でのクラッシュでレースに出場できなくなったダニー・オンガイスの代役に抜擢されたアンサーが勝っちゃった、それもインディー500での4勝目という、実にドラマティックな年でした。
 次は1991年インディー500優勝のペンスキーPC-20/イルモア・シボレーか、と。リック・メアーズのインディー4勝目です。
 2000年代のはエリオがインディー3勝目を記録したダラーラIR-05/ホンダ。2010年代のは今年の4戦優勝のジョセフ・ニューガーデン号。彼は去年チーム入りしたばかりなのに早くも6勝してるので、トレイシーやアンサーJr.を追い越すのはほぼ間違いない気が。パワーより10歳年下だから、パワーを超える可能性すらあり。


200勝の名シーンのページも Photo: Team Penske クリックして拡大
用意周到なペンスキーだが、実は内容に間違いが
これも時代の流れなのか……


 記念すべき勝利にチェッカード・フラッグが振られて2時間もしないうちに、チーム・ペンスキーからこのマテリアルは送られて来た。この手の用意周到さには「相変わらずサスガだな」と感じさせられたが、実は写真に間違いがあり、ドライバー名にはミス・スペリングがあった。自らの誇らしき歴史だというのに! 「昔はこんなことなかった」などと憤る私は懐古主義のGrumpy Old Man? いやいや、そんなことはないでしょう。ソーシャル・メディアの扱いが上手くてヒット数が多ければ優れたPRということじゃあないはずだから。自身がモーター・レーシング・エンスージャストのPRマン、PRウーマンが近頃めっきり少なくなっている。そのことに危機感を覚える。経験豊富な彼らはギャラが高額だし、知ってる分だけ口うるさいから敬遠されているという話。しかし、チームの歴史や情熱、ドラマをアピールするのがPRでしょう?  

 ドライバーのタイム・キーパー役はPRのメインの仕事じゃないはず。そういう人が近頃は多過ぎ。中にはドライバーへのメディアのアクセスをできる限り制限しようと努力しちゃってる勘違い派までいるから。

早速ペンスキーから訂正のメールが

 明けて日曜日。午後3時ちょい過ぎにチーム・ペンスキーからメールが来た。一番目立つ間違い=1970sの優勝マシンが1970年の他チームのものから1972年の自チームのインディー500初優勝マシンに差し替えられ、ギャレス・レーシングのギャルマー/イルモア・シボレー(92年シーズン最終戦からチーム・ペンスキー入りしたアンサーJr.が搭乗)がインディーのレンガのフィニッシュ・ラインを横切っている写真も上手に消去されていた。もちろんドライバー名も正しいスペリングに変更。まだ背景がヴェルズ・パーネリ・ジョーンズ・レーシング/コルト・フォード=アル・アンサー(彼のチーム・ペンスキー入りは随分と先の83年)だったりはするけれど、そこはイメージ・カットということで大目に見ましょう。やっぱり、さすがはペンスキー。間違いに気づけば即座に素早い対処をして来るな、と改めて感心。きっと心温かな業界内サポーターたち(今はもう業界外かも)が間違いを指摘してくれたんでしょう。
以上

4 件のコメント:

  1. 天野さん、インディアナポリスGPおつかれさまでした‼録画してまだ観ていないので楽しみにしてますが…パワーは、インディアナポリス強いですよね‼最近、アンラッキーなレースが続いていましたからね。話題の奥さまもテレビで抜かれることがなくなりましたし。ブルデーも、調子がいいのでうれしいです。インディ500も、その勢いで頑張ってほしいです‼ペンスキーの話ですが、ライアンブリスコーはペンスキーにいたのですか?ガナシで松浦さんのフェイバリットブルーの車に乗っていたのは聞いたことがありますが…私は、ヒンチクリフの替わりで乗っていたときしか知らないので。天野さん、いつもわかりやすく教えていただきありがとうございます。次は、いよいよインディ500‼ブルデーとセルビア、モントーヤのベテランに頑張ってほしいです‼とくに、ブルデーは去年の悔しさをぶつけてほしいです。天野さんのレポート、楽しみにしてます。ありがとうございました。体に気をつけて取材してくださいね。

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  2. 天野さん、ごめんなさい‼モントーヤは、インディ500出ないのですね…。残念です…。セルビアとエリオに頑張ってほしいです。もちろん、琢磨選手の連覇がいちばんですが…。セルビアは、レイホールからの出場じゃないんですね。いろんなチーム名があってわかりません(汗)天野さん、本当にすみませんでした。

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    1. セルビアはスクーデリア=コルサとレイホールの提携チームとしての参戦です。

      なので、レイホールからの参戦でもありますよ。

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  3. 毎回思うけど、開催時期が悪すぎるよね。INDY500前だと、どう考えても観客は集まらないよ。最終戦に持って行けば、倍は集客できると思うけど。

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