2011年6月14日火曜日

2011 INDYCAR インサイドコラム R6 ファイアストン ツイン275s:クジ引きはレースに対して、スパイスとなったのか? それとも余計な味付けとなったのか?

 テキサスでのダブルヘッダーが第2レースのグリッド決定にクジ引きを採用した。
 ピットとグランドスタンドの間に特設ステージが用意され、ドライバーたち本人がそれぞれのスターティンググリッドを選んだ。ファンはドライバーが引き当てるグリッドの数字(30個並べられたファイアストンタイヤを回転させると表れる)に一喜一憂し、当のドライバーたちも後方グリッドとなった落胆や、上位グリッドからスタートする権利を得た喜びを表現していた。

 ファンに「どのタイヤを選んだらいいと思う?」とゼスチャーで尋ねるドライバーも何人かいた。ベテランドライバーのひとりは、「こっちかな? それともコレか?」とステージ上を行ったり来たりしてファンを沸かせていたが、その表情には戸惑いが浮かんでいるように感じられた。彼はショーマンシップでスタンドとコミュニケートしていたが、本心はクジ引きには反対だったのではないだろうか。
 このまま進んで行ったら、インディカー・レースはスポーツではなくなってしまうかもしれない。そんな危機感が今回の一件では感じられた。インディカー・レースは、真剣勝負ではない、エンターテインメントとなってしまうのか……という……。

 ここで難しいのは、エンターテインメントを全面的に否定する気も実はない点だ。「レースはスポーツなのか? エンターテインメントなのか?」という疑問は持っていない。レースはスポーツであり、かつ魅力的なエンターテインメントであるからだ。ただ、レースを面白くしようとヘンにいじくり回すと、本来ある魅力が失われてしまう。やり過ぎは禁物。どこまでエンターテインメント性を持たせ、どこまでスポーツを重んずるか、そのサジ加減は本当に難しい。

 インディカーとテキサス・モーター・スピードウェイが話し合ってスターティンググリッドをクジ引きにしたのは、同じドライバー、同じチームが2レース両方で勝つ可能性を低くしたいと考えたからだった。そこにはレース結果を操作する意思が働いていた。意図的に過ぎたのだ。そんな方法で勝敗の行方をわからなくしても、本当に面白いレースにはならない。彼らの思惑の通りに2レース両方を制するドライバーやチームは出ずに済んだが、より面白かったのは、予選でグリッドを決定した第1レースの方だった。
 安易な人気取りは、一時的な人気にしか繋がらない。インディカーには本物のファンが世界中に大勢いるのだから、その人たちを大事にしないと。インディカー・レースが大好きで、長いこと見続けてきてくれているファンは本当にたくさんいる。彼らが愛想をつかして離れて行ってしまわぬよう、インディカーにはどっしりと腰を落ち着けて、遠い将来までを見通したシリーズ運営をしていってもらいたい。

 テキサスのダブルヘッダー開催の目的は、より多くの人にチケットを買ってもらうことだった。人目を引くレース方式を採用し、それに合わせてルールを考案した。一番の目的は、金儲けにあったということ。見に来てくれるファンがいなければレースが成り立たないのは事実で、インディカー社長のランディ・バーナードと、TMSのエディ・ゴッセージは、インディカー・レースの繁栄を願い、ひとりでも多くのファンを集めようと考えたのかもしれない。
 しかし、目的がはき違えられていた。レースがエキサイティングであれば、自然とファンは集まるようになる。その結果としてサーキットも、チームもドライバーも、みんなが儲かる環境を作り上げないと。金儲けが先に来ているのではファンは長くファンでい続けてくれない。

 今年からインディカーが採用したダブルファイル・リスタートも、今回のクジ引きほどではないものの安易な人気取りアイディアだ。今年のインディ500の表彰式で、優勝4回のアル・アンサーは言った。「必死になって抜いたマリオ・アンドレッティがリスタートになったら真横にいる……そんな話を私は受け入れられない。マリオもそう思うだろ? AJ、そうだよな?」。レースでのひとつひとつのポジションは、全力で競い合い、奪い合うべきもの。軽々に与えられるべきではない。

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