2014年7月5日土曜日

2014 INDYCAR レポート :AJ・フォイトにQ 第11戦ポコノ編 「ポコノは同じコーナーが2つないから好きだ。どのコーナーも独特でドライバーの腕が試されるんだ」

Photo:INDYCAR (Chris Jones)
AJ.フォイト、実に14年ぶりにポコノに登場

 インディーカーの生きる伝説、インディー500で史上初めて4勝した男、佐藤琢磨を走らせるチームのオーナー、AJ・フォイトがポコノ・レースウェイを訪れるのは、2000年のストックカー・レース(NASCARシリーズ)以来となります。これはチーム・オーナーとしての話で、ドライバーとしてだと、ポコノではインディーカーがレースを開催した19年間(1971〜1989年)で17戦に出場しました。2シーズンでポコノを走らなかったのは、72年がイリノイ州でのレースで負ったケガによってでした。この年にフォイト・チームはサミー・セッションズを走らせました。もう1回のお休みは83年。AJの父親が5月に逝去したため、チームとしてインディーカーのレースはインディー500しか走らなかったのです。
 ポコノでのAJはトップ10フィニッシュを8回記録していますが、そのうちの4回が優勝でした(73,75,79,81年)。そして、81年の優勝はフォイトにとってインディーカー・ドライバーとしての最後のものとなりました。
 AJはポコノで10回、トップ10からのスタートを切っています。そのうち2回がポール・ポジションでした(77,79年)。
 インディーカー・レースでAJがポコノに姿を見せたのは、89年が最後でした。ポコノ500でのこと。予選結果は12位でしたが、85周でリタイアしました。
ポコノでAJは二度、USACのストックカー・レース(どちらも500マイル・レース)に出場しています。71年はスタート/フィニッシュともに2位で、73年は予選でポールポジションを獲得しましたが、レースは7位でのゴールでした。

AJ・フォイトにQ

――ポコノ・レースウェイとは?
 AJ.フォイト:ポコノにはいい思い出がいっぱいあるね、自分がドライバーとして走っていた頃のものが。
あのコースをまた訪れることを楽しみにしているよ。ポコノの好きだった点は、同じコーナーがふたつないところ。どのコーナーも独特なんだ。ドライバーの腕が試されるコースで、マシンのハンドリングを好いものに仕上げなければならない。今のマシンは当時のものと比べて断然ハンドリングが良く、そういう風に仕上げるのも簡単になっている。私たちの時代とでは、レースというもの自体が違っているんだ。

――ポコノ・レースウェイのオーナー、マッティオリ・ファミリーとの友情とは?
AJ.フォイ:ト私の母親が彼ら、ドク・マッティオリと彼の妻、ドクター・ローズのファンだった。私自身も大好きだった。いつも本当に良くしてくれた。私の父と母は、私のレースがあると、マッティオリ・ファミリーに会うあめにポコノを訪れていた。彼らはとても良い友達だった。残念ながらドクター・ローズ以外はもうみんな亡くなってしまったが、今年また彼女に会えるのを私は楽しみにしている。

――次の世代については?
AJ.フォイト:私のチームにラリー(・フォイト)が関わっているのと同じように、マッティオリ・ファミリーの子供、そして孫の世代もサーキット運営に携わっている。両親、そして祖父、祖母と同じ道を辿りたいと彼らが考えているというのは嬉しい。ドクの子供の世代がサーキットに注ぎ込んだ額の大きさを知ったら、ドクは子供たち、孫たちにその仕事に全力を投入して欲しいと考えると思う。私の父も同じで、レースに大金を注ぎ込んだのだから、私に一生懸命やり続けて欲しいと考えていた。ドクも私の父親も、私たち子供の世代がレースにおいてどれだけのお金をどんな目的で使ったか、そのすべてを承認してくれはしないだろう。しかし、ポコノの美しいコースだ。彼らはみんな、心の底から誇りに感じていることだと思う。

AJ・フォイト・エンタープライゼスのポコノでの過去の戦績:
昨年、佐藤琢磨は予選で7位となり、決勝では3位を走った。しかし、ピットへの進入時のアクシデントでリタイアを喫した。ピット・ロードでライアン・ハンター-レイに後方から接触してしまったのだった。どちらのドライバーにも怪我はなかった。佐藤の成績は22位となった。
以上

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