2018年11月28日水曜日

2018 INDYCAR ニュース 11月27日:10月末からのニュース

シュミット・ピーターソン・モータースポーツからのインディーカー・フルエントリーが決まったマーカス・エリクソンは、早速ワークショップでシート合わせに臨む Photo:INDYCAR (Joe Skibinski) クリックして拡大
F1からマーカス・エリクソンがインディーカーへ
 F1グランプリにザウバーから参戦中のスウェーデン人ドライバー、マーカス・エリクソン(28歳)が2019年にシュミット・ピーターソン・モータースポーツ(SPM)からインディーカー・シリーズにフル・エントリーすることになった。ロバート・ウィッケンズの後釜的な存在となるが、負傷中の彼が回復したら即座にマシンに乗せて現場復帰させると決めているSPMは、エリクソンのカー・ナンバーをウィッケンズの使っていた「6」ではなく「7」とする。2019年シーズン中にウィッケンズの復帰がなった場合には、ジェイムズ・ヒンチクリフ、エリクソンとの3台体制になるということのようだ。


インディーカーでの成功を目指すエリクソン。SPMのチームスタッフとのマッチングもよさそうだ Photo:INDYCAR (Joe Skibinski) クリックして拡大  
  エリクソンはインディーカー転身を「F1で5シーズン戦った自分にとっての次なるステップとしてパーフェクト。インディーカー・シリーズのレースは競争が激しく、素晴らしい。もうじき、その一員として戦えるということに今はエキサイトしている。コース、オーバルでのレースなど学ぶべきことは多く、いずれも簡単ではないだろう。しかし、そうした挑戦ができることを僕は楽しみにしている」と話している。
  F1ではトップ争いを行えるチームでとうとう走ることができなかったエリクソンだが、インディーカーをステップにF1に復帰する……という考えを強く持っているわけではないようだ。アメリカへの定着、そして活躍を期待したい。

 2007年にイギリスのフォーミュラBMWにデビューし、その年にシリーズ・チャンピオンとなったエリクソンは、2008年にイギリスF3でランキング8位となり、2009年には全日本F3に戦いの場を移してチャンピオンに輝き、スポット参戦したイギリスF3でも2勝。その後の4シーズンをGP2で過ごし、2014年にケイターハムからF1デビュー。翌2015年にザウバーに移籍し、4シーズンを戦って来たが、優勝も表彰台フィニッシュも記録することはなかった。
 フェルナンド・アロンソのフル・シーズン・エントリーは2019年に関しては叶わないようで、おそらくその後も実現する可能性は低いだろう。F1レギュラーのインディーカー転向は、一番最近の例がマックス・チルトンで、その前は佐藤琢磨。疎遠だったF1だが、アチラ側の意識が近年少々変わりつつあるということだろうか?
 日本は相変わらず、アメリカのレースに対する理解、認識が低いまま。憂慮すべき状況だ。




2018年シーズンのルーキー・オブ・ザ・イヤーの授賞式は、ウィッケンズに代わって彼のフィアンセ、カリー・ウッズさんが代理で出席した Photo:INDYCAR (Joe Skibinski) クリックして拡大
ロバート・ウィッケンズが自らの容態を発表
 エリクソンのチーム入り発表に配慮をしてなのだろう、ウィッケンズが回復具合を自ら明らかにした。
 ポコノでの大アクシデントで重傷を負ったウィッケンズは、現在インディアナポリスでリハビリ中。「上半身の筋力は随分と回復して来ているが、自分の脚で歩けるようになるまでにはかなりの時間がかかりそうだ」と現状を冷静に自己評価している。「私の負傷の度合いがどのぐらいのものなのか、理解されていないようなので現実を伝えたい」とリハビリ・トレーニングの動画をアップした。
 「こんなに懸命に何か(リハビリ)に取り組むのは人生で初めて。自分の脚の神経が活動し始めるよう全力で頑張っている」と語るウィッケンズ。サーキットでの勇姿を再び見られる日を楽しみにしたい。
 

デイル・コイン・レーシングの2台目はサンティーノ・フェルッチに決定
ピエトロ・フィッティパルディはハースF1の開発ドライバー

注目されたデイル・コインの2台目のシートを得たフェルッチ。2019シーズンのルーキー・オブ・ザ・イヤー争いにまた有力なコンテンダーが登場することに Photo:INDYCAR (James Black) クリックして拡大
 2018年のインディーカー・シリーズに4戦出場し、最終戦ソノマでの11位がベスト・リザルトだったサンティーノ・フェルッチ(アメリカ、コネチカット州出身/20歳)は、2019年シーズンはフル・シーズン・エントリーを行う。もちろんDCRから、4回チャンピオンになっているセバスチャン・ブルデイのチームメイトとしてだ。彼は4レースしか走っていないため、2019年も扱いはルーキーだ。
 2019年のルーキー・オヴ・ザ・イヤーの栄誉をかけた戦いは、空前絶後と言っていいほどの熾烈さになる。その候補は、パトリシオ・オーワード、コルトン・ハータ、マーカス・エリクソン、フェリックス・ローゼンクヴィスト、そしてフェルッチという顔ぶれになるからだ。まだ若干名増える可能性もある。

 フェルッチが2018年に出場した4レースは、いずれもロード/ストリート・コース。オーバルは未経験だが、先月彼はテキサス・モーター・スピードウェイでルーキー・オリエンテーションを受講した。
 「テキサスでのテストは楽しかった。セバスチャン(・ブルデイ)が走行中に何を見て、どんなスキルを磨くべきなどかなど多くのアドヴァイスをしてくれた。まだまだ学ぶべきことは多いが、僕にとっての初オーバル・レースとなるインディー500が今から本当に楽しみだ」とフェルッチはコメントしている。


ピエトロ・フィッティパルディは来シーズンはインディーカーではなくハースのF1開発に携わることに Photo:INDYCAR (Chris Jones) クリックして拡大
 2018年にDCRで走ったもう一人の若手、ピエトロ・フィッティパルディ(ブラジル出身/22歳)は、ポートランドでの9位がベスト・リザルトだった。しかし、彼はインディーカーへのフル・シーズン・エントリーではなく、ハースF1で開発ドライバーとして活躍することになった。シミュレーターを使ってマシン・セッティングのサポートをするのが2019年の彼の仕事となる。
 祖父エマーソンはF1GPで二度ワールド・チャンピオンに輝いている。三世ドライバーは近い将来にグランプリにレギュラー・シートを確保し、活躍することになるだろうか?


メアリー・ハルマン-ジョージ 1934-2018 写真は2013年ブリックヤード400でのスタートコール Photo:INDYCAR (Shawn Gritzmacher) クリックして拡大 
メアリー・ハルマン死去

 インディアナポリス・モーター・スピードウェイの元議長、メアリー・ハルマン・ジョージが亡くなった。83歳だった。メアリーは、第二次大戦後にインディアナポリス・モーター・スピードウェイを復興させたアントン・”トニー”・ハルマンの一人娘。インディー・レーシング・リーグを興してCART(Championship
Auto Racing Teams)とアメリカン・トップ・オープンホイールの主導権争いを繰り広げ、それに勝ってインディーカー・シリーズの一本化を成したトニー・ジョージの母だ。

 
1994年、第1回ブリックヤード・クロッシング・チャンピオンシップで優勝した青木功にトロフィーを授与するメアリー・ハルマン。左はトニー・ジョージ Photo:INDYCAR クリックして拡大

 IMSやインディーカーの親会社であるハルマン&カンパニーでCEOを務めるマーク・マイルズは、「彼女は自動車レースに対する情熱と、ドライバーやファンに対する人間的な温かみを併せ持った人でした。彼女は動物の保護など、多くのチャリティ活動にも関わっていました」とコメント。メアリーの息子のトニーは、「私たちの母はとてもユニークで、素敵な人でした。彼女は家族、友人、自動車レース、動物を愛していました。1950~60年代に、急激に成長するレースの世界で、IMSの役員を務めながら1チームのオーナーになるなど、多くのことでパイオニア的な存在でもありました。彼女のことを多くの人々は、インディー500やIMSで行われるその他のレースのスタートの掛け声を発する人として知っていると思います。しかし、彼女が私たちに残してくれたものとは、彼女が両親から引き継いだ寛容さ、親切心、優しさといったものだったと思います」と語っている。
 IMS、そしてインディー500の歴史的価値を理解し、それを高く維持することに尽力したメアリー・ハルマン。冥福を祈りたい。
以上

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