2011年8月15日月曜日

2011 INDYCAR インサイド情報&ニュース:ニュー・ハンプシャー、ホンダ・インディV8がアメリカン・トップ・オープンホイールでの初優勝を記録した地に集まった懐かしい面々

今年はカナーンのアドバイザーを務める、元タスマン代表のスティーブ・ホーン
Photo:Naoki Shigenobu
 1995年の8月20日、ブラジル出身のアンドレ・リベイロがCARTインディーカー・ワールド・シリーズでのキャリア初勝利を飾った。ニュー・ハンプシャー・インターナショナル・スピードウェイでのことだった(オーナーが変わって、現在はコース名称がニュー・ハンプシャー・モーター・スピードウェイになっている)。この勝利はリベイロにとってだけでなく、タスマン・モータースポーツ・グループにとっても、ホンダにとってもインディーカーでの初勝利だった。95年はCARTシリーズがニュー・ハンプシャーでレースを行った最後の年で、96年からはIRLがレースを開催するようになった。しかし、それも3年=98年で終わった。

 ホンダの初勝利から16年が経って、インディーカー・シリーズはニュー・ハンプシャーへと戻ってきた。大きな一歩が記されたコースのピットで、今週、ふたつの懐かしい顔を見つけた。

 その最初は、タスマン・モータースポーツ・グループのオーナーだったスティーブ・ホーン。98年まででチームを閉めて引退した彼は、故郷のニュージーランドとアメリカの二カ所に家を持って、「冬のない生活」(本人談)を送っている。
 しばらくレースの世界を離れていたホーンだったが、今年はトニー・カナーンのアドバイザーとして、インディ500からほぼすべてのレースにやってきている。リベイロが優勝した翌年から、カナーンはインディライツ・シリーズにタスマンから出場。2シーズン目の97年にチャンピオンに輝いているのだ。今年、カナーンはシーズン開幕ギリギリ直前にKVレーシングにシートをゲット。自らの体制強化策としてホーンを呼び寄せた。(余談:カナーンがインディライツでチャンピオンになった年、彼のチームメイトでランキング2位に敗れたのはエリオ・カストロネベスだった)。「今週このコースへ来た時は、とても懐かしく感じた。とても良い思い出がここにはある」とホーンは語った。
ジェイクスのエンジニアとして若手育成に務めるダン・ハリデイ。
Photo:Masahiko Amano(Amano e Associati)
 ふたり目は、タスマンのレースエンジニアだったダン・ハリデイ。ポール・トレイシー、アドリアン・フェルナンデス、ケニー・ブラックなども勝たせてきた輝かしいキャリアを誇るハリデイは、ここ数年はレースの現場からは半分リタイアしていたが、今年復活。ルーキーのジェイムス・ジェイクスのエンジニアを務め、デイル・コイン・レーシング全体のエンジニアリングを見ている。若いエンジニアの育成も手がけている彼は、ジェイクスという若手ドライバーの成功にも手を貸そうとしているワケだ。

 リベイロは女性ドライバーのアナ・ベアトリスをマネージングしている。シーズン序盤、彼に「ニュー・ハンプシャーには来る?」と聞いたら、「行くよ」という答えだったが、ブラジルでホンダのディーラー経営など、ビジネスマンとして活躍中の彼は、残念ながら懐かしの地に今年は姿を見せなかった。

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